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週刊ブログ拍手ランキング【05/20~/26】

2021年05月26日 17:33

05/20~/26のブログ拍手ランキングです!


槍下手の本多平八郎も面白し 17

信玄の門松と家康の門松with歌合戦 14
「薩琉軍記」群、について 14

早川弥三座衛門の先見 8
なごりをば つきる枝にや 残すらん 8
江戸期の武田信玄への評価について 8

【話題】最上義光時代の山形城本丸御殿復元CG 7
一に大岡弥四郎、松平新右衛門、江戸右衛門八と承る。 7
子飼いの武士ども、槍を仕り候 5
【雑談】本多作左衛門について 4


今週の1位はこちら!槍下手の本多平八郎も面白しです!
甲子夜話にも本多忠勝は、槍術は下手であったという逸話があるように、名槍『蜻蛉切』の使い手である本多忠勝が、いわゆる道場槍術では下手であった、との伝承が、少なくとも
江戸中後期には成立していたようですね。
実際に本多忠勝が、教練としての槍術が下手だったかどうかなんとも言えないのですが、或いは時期的に見ると、
槍術、剣術などの道場での鍛錬の隆盛が、こういった逸話を成立させたのかも知れません。
藩士教育の充実が図られるように成ると、そういった教練は半ば義務化され、と、なると当然、集団の中での
上手い下手が可視化されるわけです。上手い人はそれで良いのですが、下手な人は、「いざという時役に立たない」と
評価されかねません。そこに「あの本多平八郎でも教練としての槍は下手だった。」という逸話の需要が生まれてくる、と
考えられるわけですね。一種のメンタルケア、救済措置として。
そもそも道場槍術であっても、やはり上手い人のほうが、実戦でも役に立つであろうことは、割と容易に想像は
つきますからね。問題は、おそらく大多数の「そうでない人」のやる気とプライドをどう保つか、であったと思うのです。
そんな事も感じた内容でした。

2位はこちら!信玄の門松と家康の門松with歌合戦です!
三方原の戦いというのは、「神君」の大苦難の一つであっただけに、非常に様々な逸話、伝承が生まれた合戦なのですが、
これもその一つであるのでしょうね。江戸期というのは、何でもかんでも家康公由来にする事が、一種の縁起にも
なっていたようですし(もしくは幕府から変に規制されないための対応策)
門松の竹を斜めに切ることについては、この家康由来の説以外にも、フシの部分も含めて斜めに切った場合、
切り口の下の方が笑った口に似ており、すなわち「笑う門には福来る」の「笑門」に当たるという事で斜めに切ることが
広まった、なんて説も有るようです。
門松と言えばめでたいものですが、一休宗純の有名な「 門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
なんて歌もありますね。現代でもそうですがお正月には強い存在感を見せる門松は、その風習の長い歴史の中で、
人々の様々な思いが重ねられていったのだろうな、なんてことも感じた内容でした。

今週は同票でもう一つ!「薩琉軍記」群、についてです!
江戸期には様々な「軍記」が、様々な需要の中書かれていったわけですが、この「薩琉軍記」というジャンルも、
非常に興味深いものですね。これは、朝鮮征伐モノもそうですが、おそらく一義的には、日本がその国威を
海外へ広げる「異国征伐物」という事になるのでしょう。その上で、それぞれに時代の要請に従ったお話が、
生み出されていったという事なのだと思います。
ここに表されている「琉球静謐記」の描写は非常に興味深いもので、「琉球は昔から戦をしない。何故なら相続のあり方が
しっかりと決まっているからだ(意訳)」という言葉は、これの書かれた当時の日本において、秩序だった「跡目」相続が
非常に大切であると認識されていた故の描写なのかな、なんて感じました。
こういった軍記が、それぞれの時代の社会の雰囲気にどのように影響を受けたのか、そういったものを調べてみたく成る、
そんな内容だと思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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