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週刊ブログ拍手ランキング【05/27~06/02】

2021年06月02日 16:37

05/27~06/02のブログ拍手ランキングです!


車懸りの陣について 11

その他の注進状は、皆偽作と見え、 9
三将三色 9

三楽斎は武略の達人である 8
神保の刺客 6
諸国の大将の心底、或いは政道、或いはその国の勢の多少 6
まことに献上したいと考えているのであれば 6
亀蔵宮 4



今週の1位はこちら!車懸りの陣についてです!
上杉謙信の戦陣として高名な「車懸りの陣」。そもそもは『甲陽軍鑑』の中に記されていたことで世の中に知られるように成り、
その後軍学者や軍記講談の類が引用することによって、広まったようです。
で、それに関しては、この記事内容もそうですが、江戸初期から「そんなものは無かった」という批判も強く、これが
甲陽軍鑑の史料性を否定的に見る一因にもなったりしています。まあ甲陽軍鑑のこれについての記述を見ると、
ぐるぐる廻りながら攻撃を仕掛ける「秘術」と言うよりも、上杉軍は普通に武田軍旗本の包囲のため取り巻こうと
意図しただけじゃなかろうか、という気にもなりますが。
まあ逆にこういうものを見ると、江戸初期に既に、甲陽軍鑑が強い影響力を持っていたという事実を確認させてくれますね。
この時代の上杉謙信、武田信玄等、東国の戦国に関する文章を見るとき、そういった当時の環境を意識すると、
その理解も精緻になるな、なんて感じました。

2位はこちら!その他の注進状は、皆偽作と見え、です!
こちらも「史料」に関する批判の内容ですね。謙信から将軍・義輝に宛てたとされる注進状全て偽物だ、という内容からは、
当時そういった物が大量にあったのだろうということも感じさせてくれます。この中で面白いのは、「但し大館伊予守宛の
ものは本物だ」と言っている所でしょう。これについて、大舘晴光は足利義輝の重臣の一人であり、実際に将軍と謙信との間の
取次も行っていたわけで、非常にリアリティがあります。謙信からの書状が、実質的に義輝宛であったとしても、基本的に
宛先は、大舘晴光になります。では何故に「義輝宛て」という書状が偽造されたかと言えば、足利義輝は歴史上の
重要人物であり有名人である一方、大舘晴光は、現代は勿論、おそらく江戸前期においても「誰?」と感じられて
しまったためでしょう。世間に価値を認めさせるには、知名度が足りない、という事ですね。だから「義輝」になってしまう。
現代でも書簡などは、有名人が有名人に宛てたものの方が、その内容に拘らず価値が出たりするものですが、
同じ現象がこの頃も起こっていた、という事なのでしょうね。そんな事も感じた内容でした。

今週は同票でもう一つ!三将三色です!
こちらは、謙信と同時代の東国の名将とされる、北条氏康、武田信玄、織田信長の特徴と、それぞれ見習うべきこと、
についての逸話ですね。
まあ、わりと突っ込みやすいところは、先に「武田信玄公は、策略十分」と言っていながら、信玄から見習うべき部分は「武略」
と記されている部分でしょう。このあたりは想像ですが、信玄の「策略」は悪辣なので見習うべきではない、という意識があり、
仕形なく「武略」としたのかな、なんて思ったりもしました。また江戸期のこの手の文章では往々にしてあることですが、
三将と並べておきながら、織田信長に対する非常に低い評価が伺えます。数合わせのために入れてやったと言わんばかりの
記し方です。特に「信長は弱い敵とばかり戦っている」は、甲陽軍鑑の頃から主張されており、当時の、非常に根強い偏見で
あったと言えるでしょう。そんな偏見を持たれていた信長ですから、「武略」の持ち主であるとはとても言えず、また
プラスイメージの強い「智略」も当てはまらず、消去法の結果として「策略」が選ばれたのかもしれません。だとすると信玄も、
残りの「武略」にせざるを得なかった、と言えそうですね。
兎にも角にも、江戸中期頃のこれら武将の世間的イメージを感じさせてくれる内容だとも思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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