fc2ブログ

荻田主馬の待遇

2021年06月06日 17:44

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/06(日) 14:57:38.93 ID:hS/VC2gz
荻田主馬(長繁)は、童名孫十郎といい、上杉謙信の小姓であった。後に與騒兵衛と言った。
上杉景勝の代に、旗本の武者奉行となったが、文禄の頃、景勝への不足を言って立ち退き、
後に結城宰相秀康卿に召し出され、その後越前に御供して参った。

この主馬の事を。古い傍輩の筋目である故に、城和泉守(昌茂)が駿府に於いて徳川家康に対し、
その待遇について様々に執り成しを申し上げた。大御所(家康)はお聞きに成ると、

「その方の親の意庵(城景茂)は越後に居たが、その方は甲州にて生まれ、それで上杉家中のことを
どうして知っているだろうか。途方も無いことを申している。
総じて武辺のことは、その家に居て、見聞きした人の言うことが実である。
他国に伝わった評判、又伝、又話では、疑うべき事である。」

そう言ってお叱りに成られた。
その座に畠山入庵(義春)、その子伊勢守(畠山義真)が居たため、上意に
「荻田のことは入庵は存じているであろう。語り申すように。」と仰せに成られた。
入庵は承り

「荻田は、我が組に罷り在りました。彼が孫十郎と申していた時、越中の陣にて、敵味方が
堤・土手を挟んで睨み合っていた時、孫十郎は一番に走り出て、槍を打ち込み、合戦を始めた
手柄が在りました。また三郎景虎と景勝が戦った時(御館の乱)、北条丹後守に槍を付けた事と、
この二度の武辺がありました。その他の武功は、それぞれの合戦で少しずつの事です。」

と、憚り無く申し上げた所、大御所は

「さてこそ、和泉の申し分とはうらはらに違っている。ではあるが、景勝家にて口をも聞くほどの
者であったというのに、越前に於いてそのように小身では、人材を粗末にしてしまう事となるのに、
越前の息子は合点の行かぬ者である。」

との御意故、その後荻田主馬を越前に於いて、一万石に成されたという。

(信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記)



252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/06(日) 23:30:21.40 ID:2BcYQFS/
上杉家中の切り崩し
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    駄目だ…城〇茂という文字の並びを見るだけで某リーダーがちらつく!

  2. 人間七七四年 | URL | -

    主馬ってだけで花の慶次のアイツが出て来るわ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    城昌茂ってのちに大坂の陣で不手際から改易されるんだよね
    この時点で家康の昌茂への印象が良くなかったんではとか勘ぐってしまう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    城〇茂「素人は黙っとれ―」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    城和泉守の話見てると徳川体制の軍監って貧乏くじだなって思うわ
    指揮官の軍律違反は戦功の有無次第で帳消しになる傾向が強いけど、軍監が現場の逸脱追認して功績と見做されることってまずないもんな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >徳川体制の
    尾藤「ダウト!!!!」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    森忠政「お前ら付いて来い、大阪城見に行くぞ!やっべ、メッチャ撃ってきた(汗)」
    城昌茂「何やってんの!人の話を聞けって、もう勝手に動くな」
    (対岸にて戦闘中)
    水野勝成「お前ら何で参戦しないんだ!!」
    森忠政「だって軍監が動くなって言うんだもん」
    家康「城、お前改易ね」

    そりゃ理不尽ってもんでしょ?

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/13019-2948d79f
この記事へのトラックバック