fc2ブログ

上杉家の旗印について

2021年06月17日 18:54

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/17(木) 16:24:27.90 ID:Jbj8xrvS
上杉謙信の頃には、家の旗が無かった。紺地に朱の日の丸の四半のものが一本、
白地に黒で「毘」の字の四半一本、何れも五幅の懸けであった。

後に白地に「無」の字を書いた四半を仕立てられ、気に入っておられたが、
城意庵(景茂)が謙信の気に背き、甲州に逃亡して武田の家人と成ると、白地に無の字を書いて
指物とした。これに謙信は大変に怒り「是非とも意庵をうつべし!」と、合戦の度に下知した。
それ故に自分の無の字の旗は用いることを停止した。

景勝の代に、秀吉公の御意により「上杉家に馬印を仕るべし。」と、直に仰せ付けに成った。
その座に家康公が居られたため、景勝はこのように申し上げた

「そういう事でありましたら、家康公の、扇の御印を申し受けたく存じます。」

そう所望した。これを聞いた家康公は御機嫌にて

「であれば、我が馬印は金であるので、色を変えられるように。」

との御意にて、上杉は浅黄の扇となった。現在も当家は、浅黄の扇の馬印である。

信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記

上杉家の旗印について



264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/17(木) 20:31:35.44 ID:7ymAEE9O
城氏って源平のときの城氏か
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >上杉謙信の頃には、家の旗が無かった。

    や、流石にコレは無いでしょ。
    当家には旗がござらんとか言ったら足利義輝辺りが
    越後長尾氏は野盗か野犬の類かと心配して色々下賜してくれるだろうし。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/13033-1450e75a
この記事へのトラックバック