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川中島合戦諸説

2021年06月22日 18:09

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/22(火) 15:05:34.29 ID:CX1S4mN5
武田典厩(信繁)は、上杉謙信と太刀打ちし、川中に切り落とされ、屍骸が川に流れたのを、
越後方の梅津宗三という者が引き上げ、典厩の首を取ったが、典厩の家人である山寺伊右衛門、
樋口宗三郎、橋爪出羽という者達三人が懸かり合い、梅津宗三を討ち取り、典厩の首を取り返した、
という説がある

また謙信と信玄の太刀打ちの時、信玄が団(軍配)にて請けられた、との説があるが、
慈眼大師(天海)がその時信玄方に居られ、山の上より直に見られ、信玄も太刀にて
謙信と勝負していたと、南麻主計に度々物語された。

畠山入庵(義春)も、その勝負を眼前に見られたといい、彼の物語に、信玄も太刀にて
謙信と勝負されたという。

慈眼大師は永正七年の生まれにて、遷化の時、百三十八歳であったと云われる。又一説には、
天文十年の生まれにて、遷化の時、百七歳であったとも云う。
百三十八歳が正しければ、初めの川中島合戦は四十五歳であり、百七歳にて遷化されたのであれば、
その合戦当時は十四歳に当たる。

川中島年月考

信玄と謙信の太刀打ちというと、第四次川中島合戦だけど、これが永禄四年だから、天海はともかく
畠山入庵はまだ生まれていないな(永禄六年生まれ)



822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/24(木) 17:19:43.29 ID:7SGd52Fe
天海の年齢はどこで狂ってるんだろ。隋風時代に詐称あっても100歳こえるよね?

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/24(木) 21:29:07.89 ID:cctjc1VX
>>822
年齢的に無理があるから、結構前の上条政繁みたく同一人物扱いの別人って説が出てきたりして
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ↑とは関係無いけど
    この川中島年月考では、第四次川中島の戦いで武田の別動隊が戸神山(西条の南)を迂回し、川中島に布陣する上杉軍の背後を突こうと機動している。
    甲陽軍鑑だと西条山の上杉をキツツキのように突き出す目的だったが、上杉方の史料では最初から川中島にいるってのは面白い話。
    妻女山を見下ろす鞍骨山城が当時の海津~上田間の街道(峠道)を押さえる重要拠点だったので、どちらにしても武田別動隊は街道を南に進んで鞍骨山城に入り、山頂から状況を見定めて西回りで川中島へ進出する予定だったんだろう。
    後に上杉景勝が鞍骨山城に陣取った伝承が誤って甲陽軍鑑に川中島の戦いの際の出来事として書かれてしまったという説も頷ける。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    天海僧正とか渡辺幸庵とか、やたら高齢な戦国生き残りって
    『ワシ、それ見たぞ』とか『そこにおったぞ』なんていうじーさんのホラ話に所以するんじゃないだろうか。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    平均寿命が60行かない世界の80歳は仙人のオーラ出し始めるらしいからな
    たとえホラ話でもほとんど神託よ

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