285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/01(木) 19:56:03.79 ID:qiFsgFHO
大阪夏の陣の折、大阪方は古田織部を語らい、「両御所(徳川家康・秀忠)が京・伏見御逗留の間に、
洛中を焼き候へ』とあった故、織部は自分の配下である茶道頭の宗喜に申し含め、調議を廻らせていた所、
板倉伊賀守(勝重)はかねてからこう言ったことに心を懸けており、法度を厳しく申し付けていた。
この時、尾張宰相義直卿の家臣、甲斐庄三平(庄三郎?)、今井伊兵衛両人によって、火付けを二人
搦め捕り、成瀬隼人を以て言上した。
伊賀守はこれを請け取り、糾明して同類四十三人を捕らえ、それから七日の内に三百余人を検挙した。
そして彼らの棟梁は古田織部であり、磔に懸けられ、彼の徒党の者共も尽く罪科に行われ、
洛中安静となった。
この織部、先の冬の陣では幕府方の御供をし、味方の事を聞いて、矢文を射て大阪城内に告げている事を
権現様はご存知であったが、あえてご存知無き体になされ、逆に利用したのだという。
これは反間(間者)を用いられる、御名将の趣深さである。
(管窺武鑑)
大阪夏の陣の折、大阪方は古田織部を語らい、「両御所(徳川家康・秀忠)が京・伏見御逗留の間に、
洛中を焼き候へ』とあった故、織部は自分の配下である茶道頭の宗喜に申し含め、調議を廻らせていた所、
板倉伊賀守(勝重)はかねてからこう言ったことに心を懸けており、法度を厳しく申し付けていた。
この時、尾張宰相義直卿の家臣、甲斐庄三平(庄三郎?)、今井伊兵衛両人によって、火付けを二人
搦め捕り、成瀬隼人を以て言上した。
伊賀守はこれを請け取り、糾明して同類四十三人を捕らえ、それから七日の内に三百余人を検挙した。
そして彼らの棟梁は古田織部であり、磔に懸けられ、彼の徒党の者共も尽く罪科に行われ、
洛中安静となった。
この織部、先の冬の陣では幕府方の御供をし、味方の事を聞いて、矢文を射て大阪城内に告げている事を
権現様はご存知であったが、あえてご存知無き体になされ、逆に利用したのだという。
これは反間(間者)を用いられる、御名将の趣深さである。
(管窺武鑑)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
>甲斐庄三平(庄三郎?)
甲斐庄/三平なのでは
( 2021年07月03日 02:30 )
人間七七四年 | URL | -
甲斐庄 三平
甲斐庄氏は河内の土豪で
家康の伊賀越えに同行した縁で家臣となり
子孫は長崎奉行や目付など重要な御役目に就いたみたい
三平さんはその一族なんだろう
現代では甲斐庄さんは数えるほどしかいない珍姓
( 2021年07月03日 08:29 )
人間七七四年 | URL | -
田結庄氏なんかと一緒で先祖は荘園管理職だったのかな
( 2021年07月03日 08:58 )
人間七七四年 | URL | -
出自が楠木正成の流れということだから、そもそも発祥から今に至るまで一貫して極めて珍しい(少ない)姓・一族だったんでないかな>甲斐庄氏
( 2021年07月03日 12:47 )
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