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大阪方は古田織部を語らい

2021年07月02日 16:44

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/01(木) 19:56:03.79 ID:qiFsgFHO
大阪夏の陣の折、大阪方は古田織部を語らい、「両御所(徳川家康・秀忠)が京・伏見御逗留の間に、
洛中を焼き候へ』とあった故、織部は自分の配下である茶道頭の宗喜に申し含め、調議を廻らせていた所、
板倉伊賀守(勝重)はかねてからこう言ったことに心を懸けており、法度を厳しく申し付けていた。

この時、尾張宰相義直卿の家臣、甲斐庄三平(庄三郎?)、今井伊兵衛両人によって、火付けを二人
搦め捕り、成瀬隼人を以て言上した。
伊賀守はこれを請け取り、糾明して同類四十三人を捕らえ、それから七日の内に三百余人を検挙した。
そして彼らの棟梁は古田織部であり、磔に懸けられ、彼の徒党の者共も尽く罪科に行われ、
洛中安静となった。

この織部、先の冬の陣では幕府方の御供をし、味方の事を聞いて、矢文を射て大阪城内に告げている事を
権現様はご存知であったが、あえてご存知無き体になされ、逆に利用したのだという。
これは反間(間者)を用いられる、御名将の趣深さである。

管窺武鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >甲斐庄三平(庄三郎?)
    甲斐庄/三平なのでは

  2. 人間七七四年 | URL | -

    甲斐庄 三平

    甲斐庄氏は河内の土豪で
    家康の伊賀越えに同行した縁で家臣となり
    子孫は長崎奉行や目付など重要な御役目に就いたみたい
    三平さんはその一族なんだろう
    現代では甲斐庄さんは数えるほどしかいない珍姓

  3. 人間七七四年 | URL | -

    田結庄氏なんかと一緒で先祖は荘園管理職だったのかな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    出自が楠木正成の流れということだから、そもそも発祥から今に至るまで一貫して極めて珍しい(少ない)姓・一族だったんでないかな>甲斐庄氏

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