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斯くの如く申し上げたのである

2021年07月06日 17:43

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/05(月) 23:04:03.89 ID:DXMSHMfI
京、伏見に両御所様(徳川家康・秀忠)が御逗留中、榊原遠江守(康勝)が病死した。(慶長20年5月27日)
子無しと報告されたが、御取り立ての家であれば、後嗣を立てるべきであるとの事になり、
遠江守の家老たちに尋ね、そのついでに、大阪夏の陣の若江表において、榊原の備えが苦戦した事について、
両御所が江戸、駿河にお帰りに成った後、権現様はお尋ねになられた。

館林の宿老である村上弥右衛門中根善右衛門原田権左衛門伊藤忠兵衛を初めとして各々
申し上げたことには、

『木村長門(重成)と井伊掃部(直孝)が一戦し、二の備えである榊原の潮合はここであると見定め、
進み懸るべしと準備している所に、御検使の藤田信吉と遠江守の両人がそれを堅く制止したため、
懸らず、是非もない事でした。
御検使であり、殊に武功の藤田の意見でありましたので、能き事がきっと有るのだろうと思っていましたが、
そういう事も有りませんでした。

遠江守は年若いので、強力な敵の方に進むべきところであったのに、病者故か、藤田と心を合わせ、
虚しく時を過ごし、かねがねの心入れと相違してしまいました。

私共においては、別に言うべきことは有りません。
これによって、翌七日の御合戦の時、伊藤忠兵衛は前日戦闘をしなかったことを無念に感じ、
心を励まして討ち死に仕りました。我々も粉骨を尽くして働き、藤田の下知を用いなかったために、
遠江守の備えは宜しく前日から相違して、御所様の御感に預かりました。

さて、遠江守に子は御座いません。』

と申し上げた。

榊原遠江守は加藤清正の婿であった。しかしこの腹に子が無く、外戚の腹に男子一人あったのだが、
隠して知る人が無かったため、家老達はこの存在を押し隠した。
そして若江の戦いでの働きの御詮議を幸いに思い、咎を藤田に押し付け、

『榊原の家が絶えれば、我々は元来公儀の者であったのを、故榊原式部大輔(康政)に付かせられた
わけであるから、御旗本に召し返される事必定である。」

と内々に相談し、斯くの如く申し上げたのである。

管窺武鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >伊藤忠兵衛は前日戦闘をしなかったことを無念に感じ、心を励まして討ち死に仕りました
    じゃあここに列席している伊藤忠兵衛は一体何者なんだ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ二代目じゃね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    家老衆が団結して後継者の存在を幕府から隠し榊原家を継がせないとか
    とてつもなく悪い話だよな
    しかも藤田信吉とばっちり喰らって改易された上に不審死してるし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    しかも家老衆にお咎めなしというね
    妾腹に継がせたくない幕府の意向もあったんだろうか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    しかも家老衆にお咎めなしというね
    妾腹に継がせたくない幕府の意向もあったんだろうか。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    この後、大須賀家6万石も絶家になっているから色々悪い話だわな

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    榊原の家臣でいるより直参に戻りたかったというのは素直すぎる?

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