fc2ブログ

週刊ブログ拍手ランキング【07/01~/07】

2021年07月07日 17:02

07/01~/07のブログ拍手ランキングです!


松平家紋は代々立葵で 10

屍の上迄の恥辱である 8

大阪方は古田織部を語らい 7
これ以後は境を酒井に改め 6
「真田次第」との御諚を承れば 6
「一に吉良、二に荒川、三に今川、四に一色」と申し候 6

権現様依仰 忠勝様御宗旨御改被遊候事 5
三河高橋氏のこと 5
斯くの如く申し上げたのである 4


今週の1位はこちら!松平家紋は代々立葵でです!
徳川と言えば三つ葉葵の家紋ですが、その由来についての伝承ですね。
葵紋は「葵祭」でも有名な賀茂神社、賀茂氏の紋であり(双葉葵)、それが、家康の松平氏が本来賀茂氏である、という説の
根拠にも成っています。そういえば『徒然草』には、
「上賀茂神社の末社の岩本神社と橋本神社は、それぞれ在原業平と藤原実方を祀った神社である」
と、在原業平と賀茂神社の関わりを伝えていますね。
そしてその松平の葵紋も、「立葵」であった、という事も、歴史好きには有名だと思います。
家康が立葵を現在の三つ葉葵に改めたのは、徳川改姓と同じく、松平諸氏との格の違いを表すため、と考えるのが
自然かな、とも思いますが、それについてこのように、「珍しい葵が有ったから」というのも、一種の天意、天啓として
伝えられたのかな、なんて感じます。
やはり様々に興味深い内容だと思いました。

2位はこちら!屍の上迄の恥辱である
です!
こちらは大野道犬斎の、堺焼き討ちの顛末ですね。道犬斎としては、幕府軍の補給基地でもある堺を機能停止に追い込むのが
戦略上必要、という発想だったのでしょう。
しかし本来、「豊臣家」の所領の内にある堺について、領主としての安全保証義務を放棄するものでもあり、もはや豊臣家が、
ほぼ大阪城の範囲だけの存在に成っていたことも表していると言えるでしょう。
大坂の陣の後、豊臣方の武将でその身柄を。襲撃された地の民衆に渡されたというのは道犬斎だけであり、堺の人々から
強い恨みを受けていた事がよく解ります。このように在地の恨みを買えば、たとえ幕府軍を一旦退けることが出来たとしても、
その後の統治に困難をきたすことは明らかであり、その意味からも、当時の豊臣家の、後の無さ、というものも感じます。
そんな事を考えた内容でも在りました。

今週管理人が気になったお話はこちら!「一に吉良、二に荒川、三に今川、四に一色」と申し候です!
「一に吉良、二に荒川、三に今川、四に一色」とありますが、この「荒川殿」というのは、、足利氏の祖とされる足利義兼の
孫である戸賀崎義宗の子、満氏よりはじまる足利一門で、南北朝期も活躍し、戦国期には将軍の内談衆としても
その名が見られる、名門ですね。足利義輝に仕えた治部少輔家の荒川晴宣は、永禄の変で義輝と共に討ち死にして
いますね。
血縁的に将軍家に非常に近い吉良家は別格としても、家格として今川、一色以上と認識されていたのは面白いと思います。
俗に「御所(将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」などという言葉がありますが、これは
今川記などに見られるもので、早くても戦国末期くらいの認識と考えられ、実態としては三河などでの認識も、
家格ランクはこういうものだった、ということを表していると思います。
同時代の社会的認識の有り様の一端を伝えてくれる、そんな内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    猫侍で有名な野口さんの展示が群馬県立館林美術館で行われてるみたいですね?
    現代社会と鎧武者の表現は凄い

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/13063-15912654
この記事へのトラックバック