290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/10(土) 10:15:35.92 ID:BZ3fWSNL
伊予のマイナーな女武者
慶長5年、伊予の国。惣津化粧城とも呼ばれる羽賀屋敷に暮らしていた羽賀台女が、男装して軍役に従事する。
彼女の父は天正14年の四国征伐で小早川隆景と戦い落城した木戸直周の娘で、武勇に優れて周囲に恐れられていた。
関ケ原の合戦に従軍した彼女は、帰還に際して市一之壺に神体を納め、牛の角・鏡・平貝石などと祀り、應神天皇を氏神とする正八幡神社と称した。
後に慶長18年、宮中より仲哀天皇・景行天皇・日本武尊・神功皇后・成務天皇を祭神として勧請し、帝王五社大明神と称した。
羽賀女も後世、羽賀大明神として末社に祀られ、今でも愛媛県砥部町に正八幡帝王神社として、戦国から江戸初期を生きた女武者は祀られている。
伊予のマイナーな女武者
慶長5年、伊予の国。惣津化粧城とも呼ばれる羽賀屋敷に暮らしていた羽賀台女が、男装して軍役に従事する。
彼女の父は天正14年の四国征伐で小早川隆景と戦い落城した木戸直周の娘で、武勇に優れて周囲に恐れられていた。
関ケ原の合戦に従軍した彼女は、帰還に際して市一之壺に神体を納め、牛の角・鏡・平貝石などと祀り、應神天皇を氏神とする正八幡神社と称した。
後に慶長18年、宮中より仲哀天皇・景行天皇・日本武尊・神功皇后・成務天皇を祭神として勧請し、帝王五社大明神と称した。
羽賀女も後世、羽賀大明神として末社に祀られ、今でも愛媛県砥部町に正八幡帝王神社として、戦国から江戸初期を生きた女武者は祀られている。
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