845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/14(水) 15:20:34.80 ID:5gAw/g0d
佐々内蔵助成政は秀吉の越中征伐の結果降参し、命を助けられ、同朋衆となって二年ほどあったが、
この時秀吉公は思し召された
「昔、信長公に召し仕われた時には、私よりも上位の者であったが、今はこのようになった。
これは私の弓矢の威光故である。もはやこのように成った以上、このまま差し置いていては、
信長公の御眼力も相違していたかのようになってしまう。」
こうして九州平均の後、天正十五年六月、肥後一国を成政に賜り、陸奥守と改めて、肥後熊本に
在城した。
ところが佐々は、国の政道悪しく、諸事逆絽である故に、肥後国菊池郡の隈部親永・親泰父子が
一揆を催し、佐々を追い払おうとした。
佐々は単独でこれを鎮定する事ができず、秀吉公はこれを聞かれ、梁川城主の立花飛騨守宗茂、
その頃は左近将監と申したが、加勢を仰せ遣わされ、押し向かって勇功を顕した。
その後浅野弾正(長政)を遣わされ、一揆悉く退治有って、肥後国を加藤虎之助(清正)に賜り、
佐々は摂州尼崎まで呼び上げられ、彼の地に於いて切腹仰せ付けられた。
(管窺武鑑)
佐々成政を敗将の立場のままにしておくと信長の権威にも傷がつく、みたいな発想もあったですね。
846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/15(木) 00:53:04.43 ID:Wi+6/tQp
成政を肥後の統治者にするにあたっての箔付けや
周囲からの反発を抑える意味合いもあったんじゃないか?
秀吉は成政に期待して肥後を与えたようだけど
抜擢に対して名分的な物があるにこしたことはないだろうし
佐々内蔵助成政は秀吉の越中征伐の結果降参し、命を助けられ、同朋衆となって二年ほどあったが、
この時秀吉公は思し召された
「昔、信長公に召し仕われた時には、私よりも上位の者であったが、今はこのようになった。
これは私の弓矢の威光故である。もはやこのように成った以上、このまま差し置いていては、
信長公の御眼力も相違していたかのようになってしまう。」
こうして九州平均の後、天正十五年六月、肥後一国を成政に賜り、陸奥守と改めて、肥後熊本に
在城した。
ところが佐々は、国の政道悪しく、諸事逆絽である故に、肥後国菊池郡の隈部親永・親泰父子が
一揆を催し、佐々を追い払おうとした。
佐々は単独でこれを鎮定する事ができず、秀吉公はこれを聞かれ、梁川城主の立花飛騨守宗茂、
その頃は左近将監と申したが、加勢を仰せ遣わされ、押し向かって勇功を顕した。
その後浅野弾正(長政)を遣わされ、一揆悉く退治有って、肥後国を加藤虎之助(清正)に賜り、
佐々は摂州尼崎まで呼び上げられ、彼の地に於いて切腹仰せ付けられた。
(管窺武鑑)
佐々成政を敗将の立場のままにしておくと信長の権威にも傷がつく、みたいな発想もあったですね。
846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/15(木) 00:53:04.43 ID:Wi+6/tQp
成政を肥後の統治者にするにあたっての箔付けや
周囲からの反発を抑える意味合いもあったんじゃないか?
秀吉は成政に期待して肥後を与えたようだけど
抜擢に対して名分的な物があるにこしたことはないだろうし
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コメント
人間七七四年 | URL | -
実績も名声もあるし九州平定でも活躍したから
成正に肥後一国を預けるのが正解だと思ったんだろう
…結果は何とも残酷で悲惨で情けないものになってしまったが
( 2021年07月14日 19:45 )
人間七七四年 | URL | -
成政抜擢に悪意は無かったかもしれないが、与えた肥後が秀吉の最低で目茶苦茶
成政は越中新川郡で20万石近い所領が有ったが、肥後では秀吉がほぼ全国人衆の所領安堵している
成政は一体どこから収入を得たら良いか途方に暮れたと思うよ。これで検地をするなと言う指示がおかしい
成政は必要に迫られ検地して差額を収入に当てるしか方策が無かった
あれ、やっぱ秀吉悪意有ったんじゃないかな?
( 2021年07月14日 21:51 )
人間七七四年 | URL | -
眼力があるなら主家を簒奪するようなやつを取り立てないだろう
( 2021年07月14日 22:18 )
人間七七四年 | URL | -
それ以前に謀反起こす外様を取り立てないのでは
( 2021年07月14日 23:29 )
人間七七四年 | URL | -
※2
最初から国人の反発は織り込み済みで武力鎮圧してくれると思ったのかもしれん
それが成功したらしたで国人衆が不憫だが
( 2021年07月15日 01:10 )
人間七七四年 | URL | -
佐々に比べて佐竹、黒田、山内の上手さよ
佐々は鞭ばかりで飴がなかったのかな
( 2021年07月15日 08:30 )
人間七七四年 | URL | -
戦国時代は坂東武者の荒武者ぶりとか有名だけど、九州国人衆の中央への反骨ぶりの方がよっぽどだと思う。
族滅させられた国人の数は肥前・肥後だけでかなり居るんじゃマイカ
( 2021年07月15日 09:51 )
人間七七四年 | URL | -
国人どもを平定するもよし失敗して切腹申しつくるもよし
( 2021年07月15日 10:02 )
人間七七四年 | URL | -
素人質問で申し訳ないのですが、所謂国人衆って現代で言う所の地方の軍閥みたいな物ですか?
なら確かにアフガンの時みたいに、武装解除させないとヤバイってのは分かるけど。
(あれは成功したのか、失敗だったのかは微妙だけど)
( 2021年07月15日 16:58 )
人間七七四年 | URL | -
国人は発生の経緯や規模が様々なので一概には言えないが、概ね武装した領主と考えればいい
その中には守護をしのぐ勢力を持った者もいれば(毛利氏や長尾氏など)、より大きな勢力に恭順して臣下になっている者もいる
凄い乱暴に言えば秀吉に大名として認められて所領安堵されれば勝ち組、そうでなければ領主に仕えるか、帰農するか、死ぬしかなかった層
( 2021年07月15日 17:23 )
人間七七四年 | URL | -
個人的なイメージだと、軍閥と言う規模よりは支配権の強い地場のヤ○ザかなぁ?
時代劇の江戸時代に出て来る賭場開帳してるヤ○ザや現代の暴力団とは違い、力のある土着の武士。
地域ごとに色々な成り立ちが有ると思うけど、悪党に対抗する組織化された在郷農民何かもあると言うし、第二次世界大戦後の港湾自警団から発展したとされる▲■組は近い?かも?
( 2021年07月15日 17:37 )
人間七七四年 | URL | eYj5zAx6
四国伊予の大洲・宇和島といった南予と呼ばれる地方では、戸田勝隆に背いて多数の国人が磔にされました。
小早川隆景に降伏した西園寺公広以下、九州の軍役にも従事していた38城主に下城を命じ、秀吉に本領安堵の朱印状を発行された公広を、朱印状を受け取りに来た時に(最初は僧侶上がりの公家大名と侮っていたら隙がなかったので、二度目に大勢で囲んで)仕物に。
その後、旧西園寺家臣が検知に反抗して大規模一揆と言われていますが。
実際には、母衣衆から大名に抜擢された戸田家中は胡乱な者が殆どで、伊予を田舎と蔑んで現地の寺社仏閣を敬わず尾張など故郷から招いた寺社を建てて土地を奪ったり。
以前から住民が耕していた田畑をいきなり召し上げ、少しでも抗議すると容赦なく撫で斬りや磔にされたり。
遂には国人の子女であれ百姓の妻女であれ、見目よき女は人妻であれ娘であれ奪っておのれの妻や妾にしたり、人買いに売り飛ばしたり。
事ここに至り、「天下を敵に回して万に一つの勝ち目も無いが、座して嬲り殺しにされるよりは戦って死のう」「上手くやれば肥後のように戸田も道連れにできる」と、大規模な一揆に。
……結局。それを待っていたように用意周到に鎮圧され、街道沿いに磔柱と晒し首の棚が並んだそうですが。
( 2021年07月15日 17:39 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
地味だけど飛騨国人も金森長近が来る前からの有力な家は 姉小路自綱の粛清→金森長近の侵攻で自綱派敗北→長近に付いた派閥も一部除いてその後長近への反乱を起こすが鎮圧される のコンボでだいぶ壊滅してたはず
( 2021年07月16日 12:21 )
人間七七四年 | URL | -
※9
大河ドラマのおんな城主直虎がその辺り上手く描いてた記憶がある
先祖代々の土地と家の存続を第一義とし、ある程度の武力と地元民ならではの土地勘を持ち
領地経営にしろ軍事行動にしろ支配層の大名家の顔色を伺いつつも
最終的には「うちは家臣じゃないので」と勝手に動く地元の領主
( 2021年07月16日 19:30 )
人間七七四年 | URL | -
>>国人衆への質問
皆さん、お答えいただき有難うございます。
大名からしたら、早めに家臣にするか・領民になってもらうか・
粛清せざるを得ない相手なのですね。
ただ、戸田さんの件は確かに調べるとかなり苛烈な仕置きがされた模様。
秀吉から良く叱責を受けなかったなぁと。
(弟の勝成さんは好きなんですけどねぇ)
( 2021年07月16日 21:33 )
人間七七四年 | URL | -
※2
肥後一国を与えられたとは肥後の国衆を与力として使う権限が佐々に与えられたことを意味する
軍役などがあれば彼ら国衆を従えて遠征する地位になった。
だがだからといって国衆の領土を奪い自分の直轄地にしようとすれば揉める。
国衆をみな撫で切って成功させた大名も少なくない、伊予とか豊前とか常陸とかね。
佐々は失敗した、相撲大会とかいっておびき寄せてだまし討ちにすべきだった
越中一郡に減らされたときに家臣団の多くが離散したのが原因だろうか
( 2021年07月16日 23:52 )
人間七七四年 | URL | -
※15
秀吉の最大の偉業が国衆を土地と切り離したことだからね
それまで同じ土地に複数人の所有者がいて当たり前だった日本の領地問題を、所謂刀狩りや太閤検地でかなり強引に解決した
お陰で一部の荘園や寄進地を除いて、全国の土地は全て大名のもの(間接的に大名を安堵した豊臣のもの)になった
一度豊臣に恭順して所領安堵を受けたのに検地をさせられたり大名傘下に入るよう命じられた国人側からしたらたまったもんじゃないが、そこで反発しても結局は豊臣政権の思う壺という
( 2021年07月17日 09:17 )
人間七七四年 | URL | -
漫画花の慶次で読んで漠然としか知らなかったけど、上杉景勝の佐渡平定も最終的には佐渡の国人衆本間氏がほぼ佐渡から駆逐された形になったのね。
上杉景勝に恭順した沢根本間、久知本間、潟上本間、雑多本間の四家は生き残ってはいるけど佐渡追放。羽茂と河原田の本間氏は滅亡と。
( 2021年07月18日 08:36 )
人間七七四年 | URL | -
国人が面倒なのは周辺と独自の血縁を築いてる部分がデカい
大名Aが隣国の大名Bと戦をしたが、A領国国境付近の国人aが実はB領国国境付近の国人bの甥だったので大名B方についた。戦をやる度に国人衆の都合によりAB間の国境線が移動した。
とか普通にある
( 2021年07月18日 09:51 )
人間七七四年 | URL | -
大名と国人の間に明確な主君と家臣の関係があるとは限らないからな
規模の大小があるとは言えお互い領主同士なわけで
( 2021年07月18日 12:24 )
人間七七四年 | URL | -
※20
越後しかり、甲斐、安芸しかりでそう言うの多いよね。
上杉謙信も武田信玄も毛利元就も各国の国人衆の親分というかまとめ役みたいな感じで。
佐渡国人衆も、元は上杉家を同盟か対等な立場と見做してたけど、秀吉から佐渡安堵の朱印状を得て自身への臣従を切り出した景勝に多くの本間氏が反発して佐渡平定の戦いが始まったみたいだし。
( 2021年07月18日 12:38 )
人間七七四年 | URL | -
徳川みたいにまるまる移った連中は楽だったけどね。
重臣連中は豊臣家からもお墨付きをもらってるからそこまで好き勝手は出来ないけど
( 2021年07月18日 14:01 )
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