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【ニュース】若き政宗、覚悟と気概 米沢城主2年目の書状見つかる 戦国武将の駆け引きも

2021年07月16日 16:15

296 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/15(木) 18:39:33.39 ID:QXMk6ZEN
https://kahoku.news/articles/20210714khn000040.html
若き政宗、覚悟と気概 米沢城主2年目の書状見つかる 戦国武将の駆け引きも
河北新報2021年07月15日 06:00


見つかった政宗の書状。花押のみ本人の肉筆
 仙台藩祖伊達政宗(1567~1636年)が家督を継ぎ米沢城主になって2年目の20歳の時、
伯父である山形城主最上義光(よしあき)の重臣に宛てた書状が仙台市内で見つかった。知られていない
当時の最上家の動向が明記されている上、戦国武将の駆け引きもうかがえる貴重な史料。政宗の若い頃の
書状は珍しく、覚悟や初々しい気概が読み取れるという。

日付は卯月(うづき)13日(旧暦4月13日、現在の5月)で内容から1586(天正14)年の書状。
宛先は最上家家老の氏家尾張守(おわりのかみ)=守棟(もりむね)=。縦33・7センチ、横47・0センチに
当時の一般的な武将の書状と同じく右筆(ゆうひつ)が字を書き、花押のみ政宗の肉筆だ。
有名なセキレイの花押の原型という。
冒頭、鮭延(さけのべ)口まで出陣し真室(山形県真室川町)で敗れた氏家を気遣い、義光が自ら赴くことに
関心を寄せている。義光出陣を知らせた氏家の書状への返事とみられ、山形勢が北の最上地方を攻略する
緊迫した状況を示す。
政宗は自身の近況にも触れ、南下して小浜(福島県二本松市)城主の畠山氏に攻め入る準備をしていると説明。
政宗に家督を譲った父輝宗はこの前年、投降を装った当時の城主畠山義継に拉致され、阿武隈川(同市)の河原で殺害された。
人質となった輝宗は伊達勢に「自分もろとも義継を討て」と命じ、凄惨(せいさん)な最期を遂げている。
文面には父を弔う政宗の意思がにじむ。
当時、伊達家と最上家は領地が接しておりライバル同士だが、引き続き手紙のやりとりも求めた。
佐藤憲一・元仙台市博物館長は「盛りだくさんの内容だ。当時の義光の動き自体が知られておらず、新たな史料ではないか。
戦続きの時期の二本松攻め直前の手紙で、政宗の覚悟が分かる」と指摘。友好的な内容で、政宗と義光は仲が悪いという
印象とは違うが「両家はいつか直接対決もあり得ると意識している。腹の探り合いであり、相手の情報を引き出す
戦国の世の駆け引きだ」と推測した。

<原文(抜粋)>      
急度用一簡候、仍鮭延口出勢付而其方被
打越之由候條、内々無心元候哉、近日於真室ニ
少々被失利之由、其聞候、実義候哉、就中
依之義光も自身被打出之由候、弥御床布候、(中略)
当口之事も二三家相催今十五日ヨリ
向二ニ押詰可及其刷之由令逼塞候、於時宜に
可御心安候、扨々其表模様委曲被顕回答候者
可為本望候、(以下略)

<現代語訳>
 急いでお手紙を差し上げます。鮭延口まで手勢を率いて出兵したとのこと、内心心配しておりました。
近頃、真室で少々敗戦したと聞きましたが、本当でしょうか。特に、そのことを聞いた義光公も自ら
出陣なされると聞き、どのような状況か知りたいものです。(中略)
 当方も2、3の味方となる者を誘って今月15日から二本松に向かい、相手に攻め入るつもりです。
これから先のことは、どうぞご安心ください。そちらの様子を詳しくお知らせいただければ本望です。(以下略)



297 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/16(金) 05:57:22.42 ID:vZZjKxhH
氏家が、現在の秋田県側の小野寺方だった鮭延秀綱を降したのが天正9年とされるので、
5年たっても秋田からは峠で隔てられた現在の山形県側を掌握できてなかったのかよ?
ってとこと、対戦相手は小野寺だよね?ってとこも

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/16(金) 08:39:03.30 ID:/hg+qTEl
天正13年鮭延降伏説もあるから、対戦相手は大宝寺かもしれん
まあその年でも小野寺の可能性は否定できないけど

302 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/17(土) 13:19:35.52 ID:T1b5z7I4
山形宮城以北の戦国時代はなんかもう知識的にというか喧伝のされ具合でも空白地帯で・・

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/17(土) 13:48:18.08 ID:kSnbjMiS
最近、なろうで木村吉清や新田政盛に転生して頑張る話が連載されていて、全然このあたりのこと知らんから勉強になる
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    細かいことだが、当時なら村上郡北部では無いかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    細かいことだが、山形県内の郡のことなら村山郡ですよ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ここで言う「真室で少々敗戦した」ってのは
    小野寺義道が真室の奪還を目指し南下するのを迎撃した天正14年の有屋峠での戦いだろう
    有屋峠を抜けた先に真室(鮭延城)がある
    緒戦で最上勢は完全試合を決められてしまうが
    手紙を信じるならこれを率いた先陣の将が氏家守棟になる
    ありえない大敗を知った最上義光は即日救援に向かい
    嫡男・義康が僅かな手勢で圧倒的な小野寺勢に挑みどうにか撤退に追い込んだ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    >嫡男・義康が僅かな手勢で圧倒的な小野寺勢に挑みどうにか撤退に追い込んだ
    こんなにも出来た息子さんだったのに…(´;ω;`)ウッ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    1586年?義康まだ10歳そこそこだろ?と思って調べたら11歳だった…マジでか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    流石に義康自ら最前線で槍を振るったのは普通はないだろうが、
    父親のせいで何か振るってたのもありえそうな気がする

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    確かに今だと小五の年なんだけど、背丈が最上の血で170cm以上有りそう。
    親父より短いけど鉄棒得物に突撃していそうな気がw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    現代小五「鉄棒?得意だよ」
    最上義康「鉄棒?得意だよ」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    上は自らがくるくる回るのが得意で、下は棒をくるくるぶん回すのが得意なんですよねw

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