345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/24(土) 23:51:38.51 ID:Gcr6Dmv+
天正十年の夏(筆者注・天正九年の誤りか)、河田豊前守(長親)は越中松倉城に籠もった。
織田信長の軍勢が五万余の兵で押し寄せたが、河田の武勇に恐れ、二方より遠巻きした。
この時、城中の神保肥後守という者、越中先方の侍大将にて、河田の相備えであったのだが、
彼には敵と内通しているのではないかという疑いがあった。しかしその証拠となるような
ものはなく、ここにおいて、河田は自分の家臣の中で頼もしき勇士を一人、下郎の出で立ちにさせ、
夜忍んで敵陣へ遣わした。即ち敵はこれを捕らえて怪しみ問うと、彼はこのように答えた
「私は城内の神保肥後守の透破である。どのような内容かは知らないが、佐々(成政)殿への
一通の書状を持って出た。城中の者に取られないようにして、佐々殿へ奉れと申し付けられた。
ところが近くの森の中の道にて若侍五、七人に出会い、彼らに刀、脇差、羽織、そしてかの書状を
入れた打飼袋まで剥ぎ取られ、ようやくここまで逃げ参った。あの書状がその後この陣に来ているので
あれば問題はないが、城中の者達に取られたのであれば大事である。このこと調べられるように。」
これに対し、敵方も警戒をし、後途の様子を見るまでとし、その上「心を許すな」と、彼を
搦め置き陣中の穿鑿をしたが、彼の言ったような者はおらず、如何と思案する内に、城中より
矢文が射られた。抜いてみれば、河田豊前守より佐々に宛てた書状であった
『当城の神保に対しての密議の計略は既に露見した。その身柄は獄に籠め、首を刎ねようと
欲している。これは武道不功、軍理未熟によるものであり、弓箭の恥辱、末代までの汚名となること、
どうして疑いがあるだろうか。
しかしながら神保は十年以来の新たに仕えた者であり、立場が定まっていたわけではない。
頻りに赦しを乞うており、その身柄をそちらの陣に引き渡そうと決まった。回答を待つ。』
これについて敵は寄り合い、返事をすべきか、ただ置いて返事をしないでおくか
決断しなかった。城内に於いては矢留の幕を打ち、二時ばかり返礼を待ったが来なかった。
河田の考えには
「返書が来たなら、その文体によって真偽を知ることは簡単であった。然るに返報が来ない以上、
神保の逆意は明らかである。何故なら神保が内通して居ないのであれば、さっそく返書し、その
文面にあやをなして、内部の和を破る手段として吉兆であると、急ぎ返事をするはずである。
そうせずに返答が遅いのは、どうにかしてこの陰謀が顕れないよう、事を誤魔化すべしと
談合しているであろうこと、疑いない。」
こうして、河田は神保を召すとこれを虜にし、その家老、身近の者合わせて七人、主従妻子ともに十三人、
城外の堀際でこれらを磔にした。神保が首に懸けていた守袋の中に、佐々、柴田(勝家)両判にて、
「今回の儀が終結した後、松倉城に五万石を添えて充てがうべし」との一状があった。
河田豊前守が勇智深き故に、この陰謀を察し擬慮を定めること、斯くの如し。
(管窺武鑑)
346 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/25(日) 07:26:47.45 ID:3Kt+VyKp
>>345
織田陣に入った河田方の勇士はどうなったんだよ えーっ?
347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/26(月) 18:44:33.74 ID:lfSNcW2A
>>346
勇士は荼毘に付したよ…
骨はある場所に置いてある
348 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/27(火) 07:24:20.51 ID:OvNmFwAu
>>347
ふぅん、そういうことか
天正十年の夏(筆者注・天正九年の誤りか)、河田豊前守(長親)は越中松倉城に籠もった。
織田信長の軍勢が五万余の兵で押し寄せたが、河田の武勇に恐れ、二方より遠巻きした。
この時、城中の神保肥後守という者、越中先方の侍大将にて、河田の相備えであったのだが、
彼には敵と内通しているのではないかという疑いがあった。しかしその証拠となるような
ものはなく、ここにおいて、河田は自分の家臣の中で頼もしき勇士を一人、下郎の出で立ちにさせ、
夜忍んで敵陣へ遣わした。即ち敵はこれを捕らえて怪しみ問うと、彼はこのように答えた
「私は城内の神保肥後守の透破である。どのような内容かは知らないが、佐々(成政)殿への
一通の書状を持って出た。城中の者に取られないようにして、佐々殿へ奉れと申し付けられた。
ところが近くの森の中の道にて若侍五、七人に出会い、彼らに刀、脇差、羽織、そしてかの書状を
入れた打飼袋まで剥ぎ取られ、ようやくここまで逃げ参った。あの書状がその後この陣に来ているので
あれば問題はないが、城中の者達に取られたのであれば大事である。このこと調べられるように。」
これに対し、敵方も警戒をし、後途の様子を見るまでとし、その上「心を許すな」と、彼を
搦め置き陣中の穿鑿をしたが、彼の言ったような者はおらず、如何と思案する内に、城中より
矢文が射られた。抜いてみれば、河田豊前守より佐々に宛てた書状であった
『当城の神保に対しての密議の計略は既に露見した。その身柄は獄に籠め、首を刎ねようと
欲している。これは武道不功、軍理未熟によるものであり、弓箭の恥辱、末代までの汚名となること、
どうして疑いがあるだろうか。
しかしながら神保は十年以来の新たに仕えた者であり、立場が定まっていたわけではない。
頻りに赦しを乞うており、その身柄をそちらの陣に引き渡そうと決まった。回答を待つ。』
これについて敵は寄り合い、返事をすべきか、ただ置いて返事をしないでおくか
決断しなかった。城内に於いては矢留の幕を打ち、二時ばかり返礼を待ったが来なかった。
河田の考えには
「返書が来たなら、その文体によって真偽を知ることは簡単であった。然るに返報が来ない以上、
神保の逆意は明らかである。何故なら神保が内通して居ないのであれば、さっそく返書し、その
文面にあやをなして、内部の和を破る手段として吉兆であると、急ぎ返事をするはずである。
そうせずに返答が遅いのは、どうにかしてこの陰謀が顕れないよう、事を誤魔化すべしと
談合しているであろうこと、疑いない。」
こうして、河田は神保を召すとこれを虜にし、その家老、身近の者合わせて七人、主従妻子ともに十三人、
城外の堀際でこれらを磔にした。神保が首に懸けていた守袋の中に、佐々、柴田(勝家)両判にて、
「今回の儀が終結した後、松倉城に五万石を添えて充てがうべし」との一状があった。
河田豊前守が勇智深き故に、この陰謀を察し擬慮を定めること、斯くの如し。
(管窺武鑑)
346 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/25(日) 07:26:47.45 ID:3Kt+VyKp
>>345
織田陣に入った河田方の勇士はどうなったんだよ えーっ?
347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/26(月) 18:44:33.74 ID:lfSNcW2A
>>346
勇士は荼毘に付したよ…
骨はある場所に置いてある
348 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/27(火) 07:24:20.51 ID:OvNmFwAu
>>347
ふぅん、そういうことか
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コメント
人間七七四年 | URL | -
実は神保一族殺っちゃった後に証拠が見つからなかったから柴田と佐々の判子捺いた書状でっち上げたんじゃねーの?
織田方の対応が逆に怪しいし河田長親の勇足だったとか?
( 2021年07月25日 18:25 )
人間七七四年 | URL | -
>織田陣に入った河田方の勇士
城内の神保肥後守の透破という肩書が偽りであることがばれなければ
そのまま解放されたのかなと思うが・・・
( 2021年07月25日 19:32 )
人間七七四年 | URL | -
織田方と神保が内通していなかった場合の
「内部の和を破る手段」ってよく分からないな
矢文の通りに既に城内で和が破れていて神保の追放が決定しているのなら
織田方がその話に乗ろうと乗るまいと神保が城を出るのは同じ
罠だった場合は黙っていれば疑心暗鬼に駆られた河田が神保を殺害する訳で
織田方にとっては有力な将を労せずに消せるのだから都合が良い
オマケで河田の自慢の勇士の首まで無料で手に入ったんだしな
( 2021年07月25日 22:00 )
人間七七四年 | URL | -
※3
神保の内通が事実にせよ嘘にせよ、
織田側は敵戦力を削れた上に、敵軍内に内通者あり?と、不安の種を撒くことが出来る
上杉側としては内通者の処分と綱紀粛正… になるかな?
けど、良い話扱いされてるけど正直言って疑心暗鬼に捕らわれた河田長親のスタンドプレーに思えてならんかな。
あと、投稿者さん?が指摘してるけど発生した年も間違ってるし、管窺武鑑はほかの逸話でも人物や出来事の発生年を間違ってるところが多々あるから色々怪しい。
( 2021年07月25日 22:45 )
人間七七四年 | URL | -
※4に追記
天正10年に佐々方の神保長住が小島職鎮らに捕まって富山城を失い、追放された話があるけどそれと混ざってこの話の神保肥後守が生まれたんじゃないかと思ってみたり。
( 2021年07月25日 23:05 )
人間七七四年 | URL | -
※4
小田原城の松田・笠原親子や大坂城の南条元忠の場合は内通露見で城内の士気下がったり疑心暗鬼になったらしい
( 2021年07月26日 00:35 )
人間七七四年 | URL | -
この戦、神保家の本家当主(越中守)が織田方で参戦しているじゃない
肥後守は分家か?
内通するにしても佐々柴田に通ずるより本家に連絡取りそうなものだが
( 2021年07月26日 03:56 )
人間七七四年 | URL | -
現場だけでやってそうに見えるが
この一件は成政とかの耳に入ってるのか?
( 2021年07月26日 11:04 )
人間七七四年 | URL | -
※7
松倉城のwikipedia見たら記録では天正8年10月に神保越中守こと、神保長住さんが攻め込んで河田長親に撃退されたみたいね。
天正9年に囲まれたかは知らんけど、河田長親死後の天正10年6月に近くの魚津城落城後に松倉城も織田方の手に落ちたと。
天正9年3月の河田長親死去後に越中の趨勢は織田側有利に大きく傾いた様だから、河田長親はかなりの名将だったと思うけど、この軍記物の記録の正誤自体には甚だ疑問を感じますね。
( 2021年07月26日 11:07 )
人間七七四年 | URL | -
松倉城には何度か行ったことあるけど、あそこは要害堅固で簡単に落ちないよ。
隠し糧道もあるし、いざというとき遠くに逃避もできる。
獄門原という処刑場も残っていて、入るとイヤな雰囲気はあった。
本丸からの景色はいいよ。ただ、熊が出るから気をつけないといけない。
河田長親はなんで若死(病死)しちゃったかね。。
( 2021年07月26日 16:06 )
人間七七四年 | URL | -
>>10
この一件で被害者二人の怨霊に憑かれたんでしょ
( 2021年07月26日 17:04 )
人間七七四年 | URL | -
あの時代に織田家に靡かない者は奥州から来た双子の兄弟に闇討ちされたのが史実であるって、月刊マガジンに載ってた
( 2021年07月26日 17:41 )
人間七七四年 | URL | -
※12
メジャーに寄りすぎでつまらんの
織田家の料理人のセイオウ料理で舌鼓うって懐柔されたとか
織田家の武将がみんな姫武将で色気に惑わされたとか
織田家の忍びがドジっ子な4コマで癒されるとか
マイナー雑誌も読んでやれ
( 2021年07月26日 18:17 )
人間七七四年 | URL | -
※13って奴は結構マニアックだな
( 2021年07月26日 18:33 )
人間七七四年 | URL | -
「マイナー雑誌も読んでやれ」のコメにたいして
「結構マニアックだな」ってただのコメ主自認現状追認やないか
なにそれ「結構マニアックだな」って、人格否定・誹謗中傷・論破王(w)したかったの?
( 2021年07月26日 18:53 )
人間七七四年 | URL | -
タフネタ書いたらマジレスされたんだ
やっぱ怖いっスね、オタクは
( 2021年07月26日 18:57 )
人間七七四年 | URL | -
13と15が同一人物かは知らないけど、最初に自分で
>メジャーに寄りすぎでつまらんの
って、否定から入ってるのは
>人格否定・誹謗中傷・論破王(w)
の前2つと違うんですかね?
( 2021年07月26日 19:03 )
人間七七四年 | URL | -
※16
※13もマニアックッスけどタフもマニアック寄りッスね
忌憚のない意見って奴ッス
( 2021年07月26日 19:09 )
人間七七四年 | URL | -
※15すまなかった、このまとめ風に言い直す。
※13.15って奴は三河武士みたいだな。
※18
タフネタが通じると思ってネタレスしたつもりの俺が浅はかだったんだ。
( 2021年07月26日 19:15 )
人間七七四年 | URL | -
ストーリーはあくまで江戸中期の創作とは思うけど、なんか「肥後守」にひっかかる。
「神保」は代表的な越中国衆の名字に引きずられたとして、轡田肥後守とか、井上肥後守とか、その頃の史料や城主伝承に現れてるから。
もし彼らレベルの中小国人の断片的な記憶が上杉家中で引き継がれてたとしたら、なんか感慨深いな。
( 2021年07月27日 05:31 )
人間七七四年 | URL | -
古文書や地元史を隈なく読み探せば出て来るかも知れないけど、ネットでググる限りには神保肥後守の名は出てきませぬな。
上杉に敵対的で佐々配下となり肥後に付き従った後に家康に仕えた神保氏張は安芸守だし。
( 2021年07月27日 07:20 )
人間七七四年 | URL | -
>>20
轡田備前守は居城を井上肥後守に譲っている
何で?って感じだけど轡田肥後守が備前守の子なので
井上肥後が轡田肥後と同一人物であれば問題ない
( 2021年07月27日 08:33 )
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