871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/29(木) 13:26:06.87 ID:UwDYuRbt
天正十七年、上杉景勝公の御簾中(武田信玄公の息女、勝頼公の妹)に、平坂対馬守を尾輿添に
仰せ付けられ、上方へ御上らせなされた。これは景勝公が宿老たちとの密談によって斯くの如く
なったのである。景勝公はこのように仰せになった
「来年太閤(秀吉、この時期は未だ関白)は小田原への発向について、我らと前田筑前守(利家)と
合流して、関東筋へ相働くべしと定められた。
秀吉について、彼は古今類なき果報明発の人である。匹夫より登場して、天下を一統した。
であるが私に対しての和睦は工夫才智を以て、私への疎意が無いようにしたのは、私が名将である
謙信公の跡を継ぎ、北条三郎(上杉景虎)を討亡して越後を治め、信州に発向しては小勢を以て
北条氏直を追い払い、川中島四郡、その他佐久、小縣にも手をかけ切り治め、或いは会津領の
所々を切りしぎ、佐渡一国恙無く平均し、去冬は羽州庄内三郡を治めた。
殊更天正十年、信長家の者共に対して上杉家の弓矢の手柄、その後、越中宮崎にての様子は、木村(吉清)が
見て帰り、それらの事によって私のことを、秀吉も手浅く見られないのだ。
であれば、私の心が振れないようにと存じられ、人質を乞おうとされないのは流石名将である。
しかし内心には、私の事を気遣いに思っているのだろう。
殊に関東への陣触れについては、猶以て心許なく、人質を乞いたいと思っては居るのだろうが、そのようでは
誠の道をすり抜けてしまうと、私に蔑まれては却って悪しくなるとして、その事を申し越されず、
正道を嗜む所を知らせ、いよいよ私には心安く思わせよう、という底意であると察する。
しかし一度和睦を結んだ以上は、私からは未来尽くすまで、心を変ずるべきではない。
武士は大小上下、共に心を変じない事を本意とするものだ。そういった所を考え知りながら、
秀吉に疑われるのは甲斐のないことだ。」
そうして家老たちと御密談を以て、御簾中を御上らせられた。
太閤はこの人質の請取を堅く御辞退されたが、景勝公のこのような思し召しにより、受け入れられたのである。
(管窺武鑑)
実際にはこの天正十七年に秀吉が「諸国の大名家は悉く聚楽へ女中衆を同道し今より在京すべきこと」と、
妻女を人質に出すよう命じたようで、景勝もその命令に従ったに過ぎないのでしょうが、家中向けには
こんなふうに「自主的にやった」と説明したのかもしれません。
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/29(木) 23:01:59.31 ID:dIhQHoBU
>>871
己の行為を粉飾歪曲して喧伝するのは謙信から続く「上杉」の常套手段。
「軍神」とか「義将」とかの幻想もそうやって築き上げた。
本物の山内上杉時代には無かったことだから、これは越後長尾の田舎者体質の顕れだろう。
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/30(金) 04:33:56.14 ID:u03GKxRD
武田さんお疲れ様です
と思ったけど武田は上杉とは呼ばずに長尾呼びしてたんだったか
じゃあ北条辺りのレスかな
874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/30(金) 13:28:45.19 ID:MGpttgjN
北条氏康は山内殿と謙信宛書状に書いてたのよ
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 00:16:38.32 ID:ONAz3fbO
>>874
それはかなり後年の越相同盟の頃で、
それまでは御互いに「長尾」「伊勢」とオトナゲナイ罵り合いを繰り返していた。
北條氏康の禅坊主相手に逆ギレとか、
上杉謙信の「佐藤ばかもの」とか、
オトナゲナイ沸点の低さがなかなか良い♪
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 00:20:50.95 ID:hE2IjCkN
>>876
大人げなくていいなw
878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 05:41:53.95 ID:LiriPFef
戦国時代は権威も今よりもっと影響力あったから
呼び方一つとっても相手の権威の肯定になるような事を言うのは
実利的な面でも憚られたんだろうな
現代の視点だとこいつら……ってなるけど
天正十七年、上杉景勝公の御簾中(武田信玄公の息女、勝頼公の妹)に、平坂対馬守を尾輿添に
仰せ付けられ、上方へ御上らせなされた。これは景勝公が宿老たちとの密談によって斯くの如く
なったのである。景勝公はこのように仰せになった
「来年太閤(秀吉、この時期は未だ関白)は小田原への発向について、我らと前田筑前守(利家)と
合流して、関東筋へ相働くべしと定められた。
秀吉について、彼は古今類なき果報明発の人である。匹夫より登場して、天下を一統した。
であるが私に対しての和睦は工夫才智を以て、私への疎意が無いようにしたのは、私が名将である
謙信公の跡を継ぎ、北条三郎(上杉景虎)を討亡して越後を治め、信州に発向しては小勢を以て
北条氏直を追い払い、川中島四郡、その他佐久、小縣にも手をかけ切り治め、或いは会津領の
所々を切りしぎ、佐渡一国恙無く平均し、去冬は羽州庄内三郡を治めた。
殊更天正十年、信長家の者共に対して上杉家の弓矢の手柄、その後、越中宮崎にての様子は、木村(吉清)が
見て帰り、それらの事によって私のことを、秀吉も手浅く見られないのだ。
であれば、私の心が振れないようにと存じられ、人質を乞おうとされないのは流石名将である。
しかし内心には、私の事を気遣いに思っているのだろう。
殊に関東への陣触れについては、猶以て心許なく、人質を乞いたいと思っては居るのだろうが、そのようでは
誠の道をすり抜けてしまうと、私に蔑まれては却って悪しくなるとして、その事を申し越されず、
正道を嗜む所を知らせ、いよいよ私には心安く思わせよう、という底意であると察する。
しかし一度和睦を結んだ以上は、私からは未来尽くすまで、心を変ずるべきではない。
武士は大小上下、共に心を変じない事を本意とするものだ。そういった所を考え知りながら、
秀吉に疑われるのは甲斐のないことだ。」
そうして家老たちと御密談を以て、御簾中を御上らせられた。
太閤はこの人質の請取を堅く御辞退されたが、景勝公のこのような思し召しにより、受け入れられたのである。
(管窺武鑑)
実際にはこの天正十七年に秀吉が「諸国の大名家は悉く聚楽へ女中衆を同道し今より在京すべきこと」と、
妻女を人質に出すよう命じたようで、景勝もその命令に従ったに過ぎないのでしょうが、家中向けには
こんなふうに「自主的にやった」と説明したのかもしれません。
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/29(木) 23:01:59.31 ID:dIhQHoBU
>>871
己の行為を粉飾歪曲して喧伝するのは謙信から続く「上杉」の常套手段。
「軍神」とか「義将」とかの幻想もそうやって築き上げた。
本物の山内上杉時代には無かったことだから、これは越後長尾の田舎者体質の顕れだろう。
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/30(金) 04:33:56.14 ID:u03GKxRD
武田さんお疲れ様です
と思ったけど武田は上杉とは呼ばずに長尾呼びしてたんだったか
じゃあ北条辺りのレスかな
874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/30(金) 13:28:45.19 ID:MGpttgjN
北条氏康は山内殿と謙信宛書状に書いてたのよ
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 00:16:38.32 ID:ONAz3fbO
>>874
それはかなり後年の越相同盟の頃で、
それまでは御互いに「長尾」「伊勢」とオトナゲナイ罵り合いを繰り返していた。
北條氏康の禅坊主相手に逆ギレとか、
上杉謙信の「佐藤ばかもの」とか、
オトナゲナイ沸点の低さがなかなか良い♪
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 00:20:50.95 ID:hE2IjCkN
>>876
大人げなくていいなw
878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/31(土) 05:41:53.95 ID:LiriPFef
戦国時代は権威も今よりもっと影響力あったから
呼び方一つとっても相手の権威の肯定になるような事を言うのは
実利的な面でも憚られたんだろうな
現代の視点だとこいつら……ってなるけど
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コメント
人間七七四年 | URL | -
景勝の武功らしきのが書き連ねられてるが、ちょっと微妙じゃね?
御館の乱なんて所詮内乱それも鮮やかに鎮圧した訳じゃないのに誇られてもねぇ
天正壬午の乱時の信濃進出も強力な支配勢力のいない空白地域を占領しただけにも見えるし
北条を追い返したってのも何か印象に残る合戦とかありましたか?北条は信濃領有よりも甲斐を攻略するのを優先しただけのように思うけどね。佐渡領有も弱小国衆を制圧ぐらいでそんな難しいことかな。出羽庄内の攻略は惣無事令違反じゃないのか?。
越中では木村が~って、上杉側が勝手に武威を示したっていう主張ぐらいしか知らないけど…。秀吉・木村側がどう感じたかって具体的な話はどんなものなのかな?ちょっと知らないのだけど。
( 2021年07月29日 20:04 )
人間七七四年 | URL | -
奥方はつらいよ
主演・武田 菊
1589年 ©︎越後フィルム
( 2021年07月29日 21:34 )
人間七七四年 | URL | -
この時期の上杉って、当初は秀吉政権から関東・奥州の取次役として期待されていたにもかかわらず、自家の利益のみ追及していたせいで、徳川に関東の取次役を、前田に奥州の取次役を実質交代させられていたような。
( 2021年07月29日 22:44 )
人間七七四年 | URL | -
というか景勝が継いでからの上杉は名前以外大して為せてないからなあ…
( 2021年07月29日 22:59 )
人間七七四年 | URL | -
※4
それ言い出したら、戦国期でこの時期の他の大名家は徳川以外の2代目は大体そんなもんでは?
( 2021年07月29日 23:09 )
人間七七四年 | URL | -
※4
川中島と佐渡と庄内を切り取っただけでも立派に戦国大名してると思う
( 2021年07月30日 00:59 )
人間七七四年 | URL | -
ボロボロになりながらも国人を家臣化or討滅させて上杉家を近代大名化させたことが景勝の何よりの功績よ
運もでかいがそれはどこの大名も一緒
( 2021年07月30日 06:43 )
人間七七四年 | URL | -
結果的に景勝の代で新発田や北条を滅ぼして本庄を手懐けてるからなぁ
( 2021年07月30日 10:52 )
人間七七四年 | URL | -
毛利家もそうだけど、信長が本能寺で死んでなかったら大名家としての上杉家の命運はだいぶ変わってたと思うなぁ。
( 2021年07月30日 12:27 )
人間七七四年 | URL | -
※9
そりゃ佐竹へ遺書みたいな手紙送っていて、滅亡覚悟してましたからね。
ブランデンブルクの奇跡ならぬ越後の奇跡起きなかったら滅亡でしょうね。
まあ越後の場合、寝返った人達、どの辺まで信長許してくれたのかが興味深いかと。
初めから景勝に背いた新発田は本領安堵でしょうが、後から裏切った場合、許される人と見苦しいと処刑される人はどういう事になるのかなあて考えますよね。
( 2021年07月30日 17:52 )
人間七七四年 | URL | -
※10
外交的に完全に孤立していて内紛も抱えているんだから本当詰んでますわ
プロイセンすらイギリスが小遣いくれたりフランス牽制したりしてくれてたのに
( 2021年07月30日 18:51 )
人間七七四年 | URL | -
管理人さん、874が抜けてるようなんでお願いします。
( 2021年08月01日 08:33 )
まとめ管理人 | URL | -
※12
すいません、何故か貼り付けミスしていたようです。直しておきましたー
( 2021年08月01日 17:08 )
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