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週刊ブログ拍手ランキング【07/29~08/04】

2021年08月04日 16:12

07/29~08/04のブログ拍手ランキングです!


「本庄正宗」由来 14

御簾中を御上らせられた 9

【雑談】景勝が笑わない無口みたいなのは 8
安房守については「表裏の士」であると 8

その方の被官を仕置したため、梟首 7
このような虎落一重二重にて 7

首奪い 6
この上は朝鮮国御征伐あって、武威を異域に輝かし 5
小田原で与八郎に切腹させ 3



今週の1位はこちら!「本庄正宗」由来です!
十五里ヶ原の戦いでの、本庄繁長と東禅寺勝正のお話。このお話で一番ハッとさせられたのはやはり、
「勝って兜の緒を締めよって、油断するなという精神的な話だけじゃなく、実際に兜もつけてる事なんだ!」の部分では
無いでしょうか。確かに戦勝直後というのは未だ混乱は続いている状態で、非常に不安定なことは確かでしょう。
この逸話にように敵の敗兵が紛れ込んでいるというのも珍しくはなかったと思います。である以上、勝ったからと言って
戦闘態勢を解除するのは気が早い、という事なのでしょうね。こういったお話は、姉川の戦いでの遠藤直経など、
類するものが間々見られます。実際にあったかどうかはともかく、敗北した側の勇敢さを表すとともに、戦勝直後は
勝った側が最も油断している状況である、という事を指摘する意味もあったのでしょう。
こういうお話が伝わったことの意味を色々と考えさせるお話だと思いました。

2位はこちら!御簾中を御上らせられたです!
上杉景勝正妻を人質に出す折のお話。逸話の中にもあったように、実は秀吉は天正17年まで、配下、従属下の大名の
家族を人質として本拠に集住させていなかったのですね。家康の子の結城秀康など、合戦等の結果としての人質は
別として、或いは出来なかった、のかもしれません。これは信長も同じようなもので、例えば従属大名である徳川家康にしても
荒木村重にしても信長のもとに家族を提出していませんし、むしろ前田利家の例など見ると、信長はその家主の元に家族も
有ることが良いと考え、それを勧めすらしていたようです。そこを考えるとこの天正十七年の秀吉による集住令は、
秀吉政権、近世政権の画期と言えるかもしれません。
逆にそういう画期であっただけに、各大名は秀吉の命令に従いつつも、家中に向けては自身の面目を保つという
必要があったかと思われます。このお話も、そういった面があったかと思われます。
そんなことを考えた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!その方の被官を仕置したため、梟首 です!
コメントの中にもありましたがこのお話、中世末~近世初期の、集団、組織間における紛争の発生とその解決方法の
あり方が非常に良く出ていると思います。
この場合は牛が逃げ出し相手である真田方に取られ、その所有権をめぐっての争いとなったわけですが、
いきなり当人同士でぶつかり合うことはなく、仲裁人(この場合は藤田信吉)が立てられ交渉にあたります。
しかし真田方がこの仲裁人である藤田の面目を潰す形になったため、面目のためにも藤田は真田と激しく敵対します。
このあたりの仲裁人のあり方も非常にリアルです。そこで真田は、さらに身分・権威ある仲裁人として佐野天徳寺を立て、
結果として彼の権威の元で「牛を盗んだ」とされる人々の処分が成立したわけですね。この時、牛を取った当人
以外は斬首ではなく戦って討死することが許可されているあたり、彼らの名誉を重んじた処置と考えられます。
この紛争が実際にあったかどうかは何とも言えませんが、このような事が実際にあったとしておかしくない、
そう思わせてくれる内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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