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上杉景勝覚書七箇条

2021年08月12日 17:22

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/11(水) 20:56:14.44 ID:8II8o6Wu
天正18年の秀吉による小田原征伐、ついで奥州平定、天正19年の陸奥征伐、九戸政実族誅の後には海内
初めて一統し、人心もやや安定した。

そのため天正19年10月、上杉景勝は覚書七箇条を発布して、地頭の正邪はただちに農民に反映するもの
なので、いささかも怠慢があってはならないと論示し、苛斂誅求、徴税吏の粗暴を戒め、常に忠孝貞節の道
を教訓させた。

また百姓は国の宝として務めて寛政を行うべきであるも、いやしくも土地に関して不法を申し募るようなら
斬に処するも差し支えなしとした。およそ訟事は決して片言をもって獄を断じ、または依怙の沙汰があって
はならないと上杉氏の治民方針を示した。(『竹俣文書』)

「覚

一、地頭の正邪により、百姓は善悪に移るものである。いささかたりとも油断あるまじき事。

一、年貢諸掛かり等は、なるべく勘弁いたして、悪作の年は前年より小分たるべき事。

一、何事も古法を守り、利欲のために新法を立てて、百姓を苦しませ申すまじき事。

一、忠孝の道理を常々教訓いたすべき事。女たちへは貞節の道理が自ずから分かるよう、肝要にする事。

一、年貢諸の等(ママ)を取り集めに行かせた役人たちが百姓へ対して粗暴の事がないように申し付ける事。

一、百姓は国の宝であるから、なるべく堪忍いたすように(百姓は國のたからに候間、なる程堪忍可致候)。
いよいよ不法を申し募って、ちめんに拘るならば討ち捨て申すべき事。

一、訴訟は双方共によくよく聞糺して沙汰するように。必ず依怙贔屓いたすまじき事。

右の条々を堅く守り申すように。以上。


天正19年辛卯10月 日 景勝花押

地頭大名中へ」

――『直江兼続伝竹俣文書)』



406 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/12(木) 03:31:08.58 ID:lTFxnUYn
直山「依怙贔屓なく審議を尽くした結果、3名様ほど閻魔大王への使いに出すことにしました。」



まぁ後世の創作くさいらしいけど

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/12(木) 04:07:33.59 ID:NFSu9+hw
直山って誰だよ
閻魔送りの件はまんま
一、百姓は国の宝であるから、なるべく堪忍いたすように(百姓は國のたからに候間、なる程堪忍可致候)。
いよいよ不法を申し募って、ちめんに拘るならば討ち捨て申すべき事。
に当たる判定なんだろう

408 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/12(木) 04:27:00.01 ID:lTFxnUYn
>>407
直江山城の略

親しい大名同士だとよく名前と冠位やら略してくだけて書くことがあるからそれ風にしてみたんだ。

まぁ、あの逸話は再三の譲歩にも関わらず、和解せず退かぬ媚びぬ省みぬして、人集めて騒いだ遺族側が悪いと思うわ。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「それ風にしてみたんだ」

    顔見知りレベルの知人に距離感なくいきなり愛称で「よう、ジェイ。いけてまんか?」とか呼びかけて相手に切れられる無能営業っぽい

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    不特定多数が集まる匿名掲示板のまとめサイトのコメ欄で、話の本筋と関わりない個人否定に興じてる辺り同じ穴の狢では?

    無意識に場の空気を悪くしたり他人の悪口でしか話題が続けられない人の様な方ですね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    地方によっては地頭って言葉が使い続けられたことが面白い
    荘園関連の言葉が残った地域もあるのだろうか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代では一般的に地頭は徴税吏の意味で使われていた模様
    代官や城代の意味として使われていた藩もあるらしい

    地頭大名中へは何だ
    上杉家の独自のものかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    中は複数形なので地頭大名がなにを指すかになりますかね
    島津と違って後の米沢藩では地頭は給人の事だそうです。
    大名も時代や地域によって意味(読みも)が異なるので興味深いですね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4,5
    給人は知行貰っている者の意味で、大名は家子郎党抱えた有力な武士て意味有りますから、上級家臣て意味なのかなあと。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    本人、必死すなw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    逆説的になるが、江戸時代でも「地頭様」という呼称が残ったことが、鎌倉・室町期の地頭の権勢の強さを物語っていると考えられるわな

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