986 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/28(土) 10:07:39.68 ID:c9ZQ43xS
ジタジタ峠
またはジダジダ峠。ジタジタというと鹿児島弁でじめじめ。じとじと。湿気のあるさま。を指すというが今回は
南信濃のお話。
天文11年(1542年)に諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたのち、武田家の軍門に下って従属した下伊那郡の
諸領主であったが天文22年(1553年)に村上義清ら北信濃国人衆の要請を受けて長尾景虎が川中島へ攻め入ったことで
信濃先方衆として当地の支配を任されていた秋山信友が高遠城を離れた隙に下伊那の知久頼元と座光氏は
知久氏の居城である神ノ峰に兵を集め武田方に反旗を翻した。
天文23年(1554年)4月、秋山信友は川中島から戻って知久氏らの説得にあたったものの使者が斬られるに至り遂に
武田と知久氏・座光寺氏らによる戦いとなった。秋山信友率いる三千の武田軍は鈴岡城の小笠原信定を破り、
知久氏もよく戦ったものの頼元の嫡男・頼康が討ち取られ、居城の神ノ峰城へ籠城することとなる。
この時、神ノ峰城の攻略を任されたのは山本勘助であった。勘助は神ノ峰城と玉川を挟んだ対岸の峠に立って城の様子を
伺った。
( ゚Дメ)「この城を力攻めするのは良くないなぁ」
( ゚Д゚)「そうっすね」
( ゚Дメ)「水を断って城内を干上がらせるために城から玉川へ降りてくる道に兵を伏せ、城兵が水を汲みに来たら討ち取るのだ」
( ゚Д゚)「そうっすね」
それから5~6日、何事もなく日々が過ぎるのみだった。
( ゚Дメ)「城の奴らは全く川に出て来ないのか?」
( ゚Д゚)「そうっすね」
( ゚Дメ)「どういうことだ?」
( ゚Д゚)「知らんがな」
奇異に思い峠に立って城の様子を伺う勘助であったが、その時峠から見える神ノ峰城の出丸にある篝岩では城兵が集まって馬を洗う姿が勘助の目に映った。
城兵達は勘助が玉川に兵を置いていることはお見通しだったのである。また、この時馬を洗っているように見せたのは白米を流してその様に見せかけていたのであるが・・・
(`Дメ ∩ < う わ ぁ あ あ あ あ あ ん!!!城内水いっぱい有るじゃねーか!時間無駄にしちゃったー!!!
⊂ (
ヽ∩ つ ジタジタ
〃〃
と、勘助はジダジダ(地団駄)を踏んで悔しがり、そこにはそれ以降草木が生えなくなったという。
このためこの場所をジダジダ峠と呼ぶようになった。
参考サイト
飯田市ホームページ
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kannomine.html
南信州お散歩日和
https://blog.nagano-ken.jp/shimoina/culture/50.html
城の記2.0 ジタジタ峠(当地の看板の文書あり)
https://blog.goo.ne.jp/yuukatan/e/ee59adb20120c70bdae3e30c6ce372fd
山本勘助の神ノ峰城攻略についてはまたその内・・・
今宵はこれまでにしとうございます。
988 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/28(土) 13:15:28.76 ID:c9ZQ43xS
>>986追記
城内の頂上から少し降ったところにある上久堅郷土歴史資料館の近くには御手洗池(みたらしいけ)があり、この池は干魃でも水が枯れないと言われ今も清水がこんこんと湧いていると言う。
白米城伝説は残っているけど、実際には水にあまり困ってはいなかったかも知れない。
ジタジタ峠
またはジダジダ峠。ジタジタというと鹿児島弁でじめじめ。じとじと。湿気のあるさま。を指すというが今回は
南信濃のお話。
天文11年(1542年)に諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたのち、武田家の軍門に下って従属した下伊那郡の
諸領主であったが天文22年(1553年)に村上義清ら北信濃国人衆の要請を受けて長尾景虎が川中島へ攻め入ったことで
信濃先方衆として当地の支配を任されていた秋山信友が高遠城を離れた隙に下伊那の知久頼元と座光氏は
知久氏の居城である神ノ峰に兵を集め武田方に反旗を翻した。
天文23年(1554年)4月、秋山信友は川中島から戻って知久氏らの説得にあたったものの使者が斬られるに至り遂に
武田と知久氏・座光寺氏らによる戦いとなった。秋山信友率いる三千の武田軍は鈴岡城の小笠原信定を破り、
知久氏もよく戦ったものの頼元の嫡男・頼康が討ち取られ、居城の神ノ峰城へ籠城することとなる。
この時、神ノ峰城の攻略を任されたのは山本勘助であった。勘助は神ノ峰城と玉川を挟んだ対岸の峠に立って城の様子を
伺った。
( ゚Дメ)「この城を力攻めするのは良くないなぁ」
( ゚Д゚)「そうっすね」
( ゚Дメ)「水を断って城内を干上がらせるために城から玉川へ降りてくる道に兵を伏せ、城兵が水を汲みに来たら討ち取るのだ」
( ゚Д゚)「そうっすね」
それから5~6日、何事もなく日々が過ぎるのみだった。
( ゚Дメ)「城の奴らは全く川に出て来ないのか?」
( ゚Д゚)「そうっすね」
( ゚Дメ)「どういうことだ?」
( ゚Д゚)「知らんがな」
奇異に思い峠に立って城の様子を伺う勘助であったが、その時峠から見える神ノ峰城の出丸にある篝岩では城兵が集まって馬を洗う姿が勘助の目に映った。
城兵達は勘助が玉川に兵を置いていることはお見通しだったのである。また、この時馬を洗っているように見せたのは白米を流してその様に見せかけていたのであるが・・・
(`Дメ ∩ < う わ ぁ あ あ あ あ あ ん!!!城内水いっぱい有るじゃねーか!時間無駄にしちゃったー!!!
⊂ (
ヽ∩ つ ジタジタ
〃〃
と、勘助はジダジダ(地団駄)を踏んで悔しがり、そこにはそれ以降草木が生えなくなったという。
このためこの場所をジダジダ峠と呼ぶようになった。
参考サイト
飯田市ホームページ
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kannomine.html
南信州お散歩日和
https://blog.nagano-ken.jp/shimoina/culture/50.html
城の記2.0 ジタジタ峠(当地の看板の文書あり)
https://blog.goo.ne.jp/yuukatan/e/ee59adb20120c70bdae3e30c6ce372fd
山本勘助の神ノ峰城攻略についてはまたその内・・・
今宵はこれまでにしとうございます。
988 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/28(土) 13:15:28.76 ID:c9ZQ43xS
>>986追記
城内の頂上から少し降ったところにある上久堅郷土歴史資料館の近くには御手洗池(みたらしいけ)があり、この池は干魃でも水が枯れないと言われ今も清水がこんこんと湧いていると言う。
白米城伝説は残っているけど、実際には水にあまり困ってはいなかったかも知れない。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
>勘助はジダジダ(地団駄)を踏んで悔しがり、そこにはそれ以降草木が生えなくなったという。
なんだこの唐突な呪い
( 2021年08月28日 16:01 )
人間七七四年 | URL | -
※1
怨念がおんねん
( 2021年08月28日 17:40 )
人間七七四年 | URL | -
>ジダジダ峠と称し、草木も育たぬ所となったという。
むっちゃ草木繁っているじゃないですかヤダー
( 2021年08月28日 18:47 )
人間七七四年 | URL | -
※3
勘助が地団駄踏んだ辺りが草木が生えないってだけで、勘助は峠一帯を地団駄踏んで転げ回った訳じゃないと思うんだ。
( 2021年08月28日 18:54 )
人間七七四年 | URL | -
川を挟んだ対岸の峠から見ただけで
敵城に水手が無いと察することのできる山本管助は流石天才軍師
実際には枯れない井戸がある模様
しかし峰続きの登城口を見下ろす位置に本丸があって
周囲を断崖絶壁に囲まれた最高所の天険に出丸があるって不思議
恐らくは伝本丸が登城口を押さえる出丸で
最奥の堅固な位置にある伝出丸が往時の本丸だろう
( 2021年08月28日 19:53 )
人間七七四年 | URL | -
こう言う奴か?
(ミ ミ)
((゚Д゚)
(V) Oト─イつ
癶H 癶ヒ二|癶
癶戈TT癶二ノ癶
癶-癶(ノヽ)
( 2021年08月29日 13:40 )
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