08/26~09/01のブログ拍手ランキングです!
西国無双 吼える 15
ジタジタ峠 13
信玄逝去 10
戦う女性達のお話とか 10
しかし松永の運が強かったのか 8
柿崎景家誅殺 8
仏さんに閉門を申しつけた男 8
洛中洛外の図の屏風一双 8
今週の1位はこちら!西国無双 吼えるです!
立花宗茂による関ヶ原後の大阪脱出の模様、ですね。この時立花宗茂が自分の母とともに、亀寿姫など島津の人質も
奪っているのが興味深いですが、このあたり実際には、島津義弘の派遣した平田増宗らの働きによるようです。
しかし宗茂一行は後で島津一行とも合流するわけで、そのあたりからこう言ったお話も形成されたのかも知れません。
そして関所突破について、この時期の大阪は未だ、西軍の制圧下にあったと考えると、そこから人質を奪い
逃亡するのは、西軍にとっては利敵行為であり、宗茂の西軍よりの離脱を意味すると捉えられます。
なので関を武力を以て突破したというのは、東軍に対して心象を良くするための行為であった、とも考えられますね。
勿論緊急事態という意識が在った上でしょうが、そのような「戦後」のための駆け引きも有ったのではないか、
と考えてみるのも面白そうです。
2位はこちら!ジタジタ峠です!
山本勘助が神ノ峰城攻略失敗というお話。米を使って水のように見せ、水不足を誤魔化すというのは、中国の軍記などにも
見られるわりあい定型的なお話ですね。また勘助が地団駄を踏んだために草木が生えてこなくなった、というのも
実に民話的、あるいは神話的でもあります。おそらくはそれだけ、武田の神ノ峰城攻めを防いだという事が、地元にとって
印象的な事態であり、周辺の様々な事象とも関連しつつ、長く語り伝えられていったという事なのでしょう。
また、それだけ当時の認識としての、武田軍の強大さというものも感じられるかも知れません。
そのように様々に考察できる、そんなお話だと思いました。
今週管理人が気になった逸話はこちら!仏さんに閉門を申しつけた男です!
こおでは閉門ですが、この時代戦国大名などでも、寺院に戦勝の祈願などの際、「もし願いが叶わなければ寺領を奪う」
などと露骨に脅している内容が間々見られます。そのくらい、神仏といえども祈願に対し実利的効能が無ければならない、
という意識の有った時代だったようです。そこから考えるとこの河野源六さんの対応は未だ穏便と言えるかも知れませんね。
また実際にこれによって落馬が無くなったのですから、神仏といえども抗議する時はしないといけない、という教訓とも
読めますね。時代ごとの日本人と宗教の関係性も含めて、興味深い内容だと思いました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
西国無双 吼える 15
ジタジタ峠 13
信玄逝去 10
戦う女性達のお話とか 10
しかし松永の運が強かったのか 8
柿崎景家誅殺 8
仏さんに閉門を申しつけた男 8
洛中洛外の図の屏風一双 8
今週の1位はこちら!西国無双 吼えるです!
立花宗茂による関ヶ原後の大阪脱出の模様、ですね。この時立花宗茂が自分の母とともに、亀寿姫など島津の人質も
奪っているのが興味深いですが、このあたり実際には、島津義弘の派遣した平田増宗らの働きによるようです。
しかし宗茂一行は後で島津一行とも合流するわけで、そのあたりからこう言ったお話も形成されたのかも知れません。
そして関所突破について、この時期の大阪は未だ、西軍の制圧下にあったと考えると、そこから人質を奪い
逃亡するのは、西軍にとっては利敵行為であり、宗茂の西軍よりの離脱を意味すると捉えられます。
なので関を武力を以て突破したというのは、東軍に対して心象を良くするための行為であった、とも考えられますね。
勿論緊急事態という意識が在った上でしょうが、そのような「戦後」のための駆け引きも有ったのではないか、
と考えてみるのも面白そうです。
2位はこちら!ジタジタ峠です!
山本勘助が神ノ峰城攻略失敗というお話。米を使って水のように見せ、水不足を誤魔化すというのは、中国の軍記などにも
見られるわりあい定型的なお話ですね。また勘助が地団駄を踏んだために草木が生えてこなくなった、というのも
実に民話的、あるいは神話的でもあります。おそらくはそれだけ、武田の神ノ峰城攻めを防いだという事が、地元にとって
印象的な事態であり、周辺の様々な事象とも関連しつつ、長く語り伝えられていったという事なのでしょう。
また、それだけ当時の認識としての、武田軍の強大さというものも感じられるかも知れません。
そのように様々に考察できる、そんなお話だと思いました。
今週管理人が気になった逸話はこちら!仏さんに閉門を申しつけた男です!
こおでは閉門ですが、この時代戦国大名などでも、寺院に戦勝の祈願などの際、「もし願いが叶わなければ寺領を奪う」
などと露骨に脅している内容が間々見られます。そのくらい、神仏といえども祈願に対し実利的効能が無ければならない、
という意識の有った時代だったようです。そこから考えるとこの河野源六さんの対応は未だ穏便と言えるかも知れませんね。
また実際にこれによって落馬が無くなったのですから、神仏といえども抗議する時はしないといけない、という教訓とも
読めますね。時代ごとの日本人と宗教の関係性も含めて、興味深い内容だと思いました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
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