530 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/14(火) 22:39:53.85 ID:eGQD6OyZ
雨森九太夫のこと
土佐雨森氏の初代である雨森九太夫氏康は元は近江の人で親子で石田三成に仕え、小田原の陣から朝鮮の役など
秀吉の数々の戦に参加した兵である。
石田家に仕えた時分は九兵衛と名乗っていた。隙を見て契約を迫る白いアレではない/人◕◡◡◕人\ボクトケイヤクシテマホウアシガルニニナッテヨ。
関ヶ原の合戦でも当然西軍に属し、前哨戦である九月十四日の大垣表の戦では2つの首を取って島左近に称賛されたという。
翌十五日の関ヶ原本戦でも奮戦したが苦戦し、そして彼の属する西軍は敗北・潰走する。
生き残った他の西軍将兵と同様に戦場を離脱しようとする九兵衛であったが、落ち武者を捕えんとする東軍の検閲は厳しく多数の元仲間たちが
次々と囚われていた。
そして九兵衛の前に立ちはだかったのは・・・
人斬り兵部が率いる井伊の赤備えであった。
(# ゚Д゚)「何者だ!?」
赤鬼どもに強く詰問される九兵衛。絶体絶命である。
(;゚Д゚)「そ、それがし・・・」
(# ゚Д゚)「あぁん!?」
(;゚Д゚)「山内対馬家中の者でござる!!!」
九兵衛は己が知己に山内家の者がいたことを思い出し、思いっきり嘘をついた。
( ゚Д゚)「なんだ味方か、よし通れ。」
(;゚Д゚)「失礼仕る」
こういうやり取りだったかどうかは定かではないが、いずれにせよ山内家の家臣を詐称したことで彼の命は関ヶ原の露と消えることはなかった。
雨森九兵衛氏康はのちにこう語っている。
( ゚Д゚)「山内家の御威光を借り不思議と命助かり申した。」
そして戦の論功行賞も終わり、慶長六年(1601年)山内一豊は遠江国掛川・5万1000石から土佐一国・9万8000石への加増転封となった。
この時、雨森九兵衛は山内家に仕官し関ヶ原の縁があってか召し抱えられることとなった。
石田家時代に450石だったが600石での召し抱えであったという。
九兵衛は九太夫と改名し、山内家によく仕えてのちには大坂冬の陣や福島家改易の際の広島城受け取りなど、大いに働きその天寿を全うすることと・・・
はならなかった・・・。
今宵はここまでに致しとうござりまする
参考:島原の乱の使者の戦い(4)土佐藩の場合
https://www.shokei-gakuen.ac.jp/univ/wp-content/uploads/sites/2/2019/07/86509874ddc951b05fc5872251d94c78.pdf
※PDF注意
532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/14(火) 23:45:30.33 ID:oB2QnFu8
土佐の酒乱王となんかあったのかな
533 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 07:23:51.13 ID:EnSSGzM9
>>532
アル中とは特に何もないけど主命に殉じたと言う感じかなぁ。
534 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 07:48:23.10 ID:aPQMpRJM
雨森って見ると、はだしのゲンを思い出すのう
おどりゃクソ森! ギギギ…
535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 11:00:26.27 ID:4zUx+g5Y
バカボンパパの声を・・
536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 13:47:38.18 ID:kME7rw3o
雨森って言ったら浅井氏のトリオユニットの一員だけど
元近江の人って事だし親族だったのかな
537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 14:16:33.21 ID:r3+yBC2H
雨森氏といえば、キッセイ薬品の創業者は雨森氏だったそうな
雨森氏の紋が橘紋なのにちなんで橘生化学研究所
のちに読みを改めてキッセイに
538 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 15:17:12.95 ID:bttUh3TW
近江なら山内一豊も長浜にいたことがあるし、その時に何か縁が既に有ったのかも知れないなぁ。
山内家仕官にあたっては山内康豊の推薦もあったみたいだし
540 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 23:45:05.51 ID:j9vATaNG
>>536
>>537
https://kijidasu.com/?p=30981
恐らく一族に間違いはないと思う。
雨森九太夫のこと
土佐雨森氏の初代である雨森九太夫氏康は元は近江の人で親子で石田三成に仕え、小田原の陣から朝鮮の役など
秀吉の数々の戦に参加した兵である。
石田家に仕えた時分は九兵衛と名乗っていた。隙を見て契約を迫る白いアレではない/人◕◡◡◕人\ボクトケイヤクシテマホウアシガルニニナッテヨ。
関ヶ原の合戦でも当然西軍に属し、前哨戦である九月十四日の大垣表の戦では2つの首を取って島左近に称賛されたという。
翌十五日の関ヶ原本戦でも奮戦したが苦戦し、そして彼の属する西軍は敗北・潰走する。
生き残った他の西軍将兵と同様に戦場を離脱しようとする九兵衛であったが、落ち武者を捕えんとする東軍の検閲は厳しく多数の元仲間たちが
次々と囚われていた。
そして九兵衛の前に立ちはだかったのは・・・
人斬り兵部が率いる井伊の赤備えであった。
(# ゚Д゚)「何者だ!?」
赤鬼どもに強く詰問される九兵衛。絶体絶命である。
(;゚Д゚)「そ、それがし・・・」
(# ゚Д゚)「あぁん!?」
(;゚Д゚)「山内対馬家中の者でござる!!!」
九兵衛は己が知己に山内家の者がいたことを思い出し、思いっきり嘘をついた。
( ゚Д゚)「なんだ味方か、よし通れ。」
(;゚Д゚)「失礼仕る」
こういうやり取りだったかどうかは定かではないが、いずれにせよ山内家の家臣を詐称したことで彼の命は関ヶ原の露と消えることはなかった。
雨森九兵衛氏康はのちにこう語っている。
( ゚Д゚)「山内家の御威光を借り不思議と命助かり申した。」
そして戦の論功行賞も終わり、慶長六年(1601年)山内一豊は遠江国掛川・5万1000石から土佐一国・9万8000石への加増転封となった。
この時、雨森九兵衛は山内家に仕官し関ヶ原の縁があってか召し抱えられることとなった。
石田家時代に450石だったが600石での召し抱えであったという。
九兵衛は九太夫と改名し、山内家によく仕えてのちには大坂冬の陣や福島家改易の際の広島城受け取りなど、大いに働きその天寿を全うすることと・・・
はならなかった・・・。
今宵はここまでに致しとうござりまする
参考:島原の乱の使者の戦い(4)土佐藩の場合
https://www.shokei-gakuen.ac.jp/univ/wp-content/uploads/sites/2/2019/07/86509874ddc951b05fc5872251d94c78.pdf
※PDF注意
532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/14(火) 23:45:30.33 ID:oB2QnFu8
土佐の酒乱王となんかあったのかな
533 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 07:23:51.13 ID:EnSSGzM9
>>532
アル中とは特に何もないけど主命に殉じたと言う感じかなぁ。
534 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 07:48:23.10 ID:aPQMpRJM
雨森って見ると、はだしのゲンを思い出すのう
おどりゃクソ森! ギギギ…
535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 11:00:26.27 ID:4zUx+g5Y
バカボンパパの声を・・
536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 13:47:38.18 ID:kME7rw3o
雨森って言ったら浅井氏のトリオユニットの一員だけど
元近江の人って事だし親族だったのかな
537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/15(水) 14:16:33.21 ID:r3+yBC2H
雨森氏といえば、キッセイ薬品の創業者は雨森氏だったそうな
雨森氏の紋が橘紋なのにちなんで橘生化学研究所
のちに読みを改めてキッセイに
538 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 15:17:12.95 ID:bttUh3TW
近江なら山内一豊も長浜にいたことがあるし、その時に何か縁が既に有ったのかも知れないなぁ。
山内家仕官にあたっては山内康豊の推薦もあったみたいだし
540 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/15(水) 23:45:05.51 ID:j9vATaNG
>>536
>>537
https://kijidasu.com/?p=30981
恐らく一族に間違いはないと思う。
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コメント
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う●こ「開門!開門ーッ!危急の儀に御座る!開門致せーッ!」
肛門「ええい、騒ぐな!お館様は電車にご乗車中である!控え居ろう!」
う●こ「拙者とて直腸まで参って居るのだ!ご乗車中とあらばお降り願え!」
肛門「ううむ。・・・待っておれ!」
肛門「今は静かにしておりますが、どうやら押し通ることも辞さぬ構え。いかがいたしましょう?」
骨盤神経「ほーォ、う●この奴がな・・・。ふん。お館様には伝えておく故、もうしばらく待たせておけ」
大脳「はて、何やら下の方が騒がしいようだが・・・?」
脊椎「は。骨盤神経より便意の訴えに来た者が居ると・・・」
大脳「何、便意だと。扨て困ったことだ。あと二駅なのだが・・・降りる必要があるか?」
脊椎「いえ、それには及びますまい。そのような大事であるとは思えませぬ故」
大脳「そうか、うむ」
う●こ「・・・遅い!お館様はどうされたのだ!」
肛門「お館様への取次ぎは済んで居る。暫し待て」
う●こ「・・・肛門よ。おれとお前の仲も長いな」
肛門「何を・・・・・・貴様、そのような事を言ったとて、ここを通す訳には行かぬ事くらい承知して居ろうが」
う●こ「ああ、そうだ。そうだな・・・」
肛門「だが、貴様は本当にう●こか?」
う●こ「お前、何を言っている?」
肛門「貴様はもしかしてう●こではなく、おならではないかな」
う●こ「・・・・・・!」
肛門「おならであれば、おれの一存で通すことも出来る」
う●こ「お前、それは・・・」
肛門「・・・う●こよ。おれと貴様の仲も長いな」
肛門「何者だ!」
う●こ「おならです」
肛門「よし、通れ!」
( 2021年09月15日 18:08 )
人間七七四年 | URL | -
※1
このコピペここまで長いの初めて見たw
( 2021年09月15日 19:50 )
人間七七四年 | URL | -
同じ東軍でも大名によって合言葉や目印が違うから敵味方の判別が難しかったのかな?
( 2021年09月15日 20:36 )
人間七七四年 | URL | -
※1
これ以上四の五の言ったら肛門番を切って押し通ったんだろうか
( 2021年09月15日 20:37 )
人間七七四年 | URL | -
※4
車両内で決壊&その勢いで切れ痔とか何という地獄絵図
( 2021年09月15日 20:50 )
人間七七四年 | URL | -
※1
一瞬荒らしかと思ったがちゃんと読んで爆笑した
( 2021年09月15日 21:40 )
人間七七四年 | URL | -
※1 水飲んで読んでいたら、喉の門番混乱して違う所通すわ!w
で雨森ておあむ物語の山田去暦の娘の嫁ぎ先雨森だったよなあと思って調べたら、雨森九太夫氏康と山田去暦は親類で、山田去暦一家は雨森頼って土佐に行って山内家に仕えたんですね。
で雨森儀右衛門氏行は氏康の孫でおあむを娶った らしい。
( 2021年09月16日 04:41 )
人間七七四年 | URL | -
※7
気道「何者だ!」
水「空気です」
気道「よし、通れ!」
食道「待てい!」
気道「ヌッ!」
食道「そ奴は水であろう!こちらへ渡してもらおうか!」
水「見破られたとあらば仕方あるまい、食道へゆくとしよう」
気道「よかろう、ただしすでに通した分の水は戻せんぞ!」
水「気道…」
俺「ガッホ!ウォッホ!」
( 2021年09月16日 18:32 )
人間七七四年 | URL | -
高齢でも出陣して島原の乱で戦病死されたのか。
( 2021年09月19日 20:35 )
人間七七四年 | URL | -
※9
島原で鉄砲で負傷して帰る途中の柏島沖で亡くなったんですよね。
思えば九太夫さんが欺いた井伊も関ヶ原の島津の鉄砲傷の予後が悪くて亡くなっているのは有名ですが、九太夫さんの孫の嫁の弟もその時の大垣城籠城中に鉄砲で撃たれて亡くなってますね。
( 2021年09月20日 12:41 )
人間七七四年 | URL | -
※9
「高齢でも出産して」に空目した
家庭板まとめの読みすぎかもしれん
( 2021年09月20日 12:52 )
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