fc2ブログ

雨森九太夫の強弓

2021年09月23日 16:26

567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/23(木) 08:51:07.75 ID:uA6ewj70
雨森九太夫の強弓

慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いの後、山内一豊の新規家臣召し抱えに応募して採用された雨森九太夫であったが、14年後の慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に主君・山内忠義に従って出征した。

城中に向けて矢を射込む際、九太夫は矢柄に自身の姓名を漆書したものを放ち、その内の一本が城内に届いた。

大野半次(南國遺事では或は天野仁之助)という大坂方の武士がこれを見つけ、

「か樣の矢は奇特の嗜に候、大阪には珍らしく候」

と書き添えて直に打ち返した。

このことによって九太夫の強弓の名が敵味方に賞されたという。

『続 土佐偉人傅』『南國遺事』『土佐武道史話』より

568 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/23(木) 13:42:37.54 ID:uA6ewj70
>>567
ちなみにこの大野半次、天野仁之助については土佐武道師話によると、随筆「笑い草」に置いては土佐へ流れて来て武士に弓術を教え、九大夫の弓の師となっていた天野半之助(尾張徳川や松倉、広島藩に仕えたのと同一人物?)とする話があるようである。

この天野半之助、その名声を聞いた山内忠義から召抱えの声が掛かったけど、知行に不足を感じて承諾せず姿を消したと言う感じの話があるようなので、資料を探して詳細が分かればまた書き込みしたいと思う。



568 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/23(木) 13:42:37.54 ID:uA6ewj70
>>567
ちなみにこの大野半次、天野仁之助については土佐武道師話によると、随筆「笑い草」に置いては土佐へ流れて来て武士に弓術を教え、九大夫の弓の師となっていた天野半之助(尾張徳川や松倉、広島藩に仕えたのと同一人物?)とする話があるようである。

この天野半之助、その名声を聞いた山内忠義から召抱えの声が掛かったけど、知行に不足を感じて承諾せず姿を消したと言う感じの話があるようなので、資料を探して詳細が分かればまた書き込みしたいと思う。

569 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/23(木) 16:08:40.36 ID:CmRyn9h7
>>568
徳川家や浅野に仕えた天野半之助は元の名が中根左源次と言い、年齢的に関ヶ原で12歳だし、大坂では松倉麾下で後藤又兵衛隊相手に奮戦してるので後の名が一緒の別人だと思われる。
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    塙団右衛門みたいなお話だこと

  2. 人間七七四年 | URL | -

    射返した武士も嗜みある態度でこれはいい話

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >「か樣の矢は奇特の嗜に候、大阪には珍らしく候」

    自分は逆に名前書くのが普通だと思ってた
    時代や土地柄によって武士文化も違うもんなのね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    親指新納さんみたいに詩を弓で送り付ける人も居るしね

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/13178-67f7d95d
この記事へのトラックバック