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紀州大納言 vs 尾張大納言 with 真田のお兄ちゃん

2021年09月25日 15:55

573 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/24(金) 23:51:44.97 ID:AIMjDuGE
紀州大納言 vs 尾張大納言 with 真田のお兄ちゃん

南紀徳川史』より、島原の乱が起きた時のこと。

将軍・徳川家光のお召で徳川御三家の三人に大名旗本巧者の面々が登城した。

その席で尾張大納言・徳川義直は島原蜂起の一報に対し

「何物ぞや百姓どもの分際にて何程のこと有るや。踏みつぶすに手間取るまじき」

と述べた。これに対して紀州大納言・徳川頼宣曰く

「左様にては無之候。古の諺にも外の百人を以て内の一人を難窮と申候に万斗の凶徒ら必死に立て籠もり候を手軽にはなり兼申候
 殊に天草富岡城攻、本渡合戦の仕方聤兒志桓にての勢配り唐子表より陣払いの躰嶋原にては瀬野合戦三江杉谷表の兵糧論の体百姓計の
 仕方と不存候如何様御手間入可候」

要するに天草の一揆軍を愚民の反乱(プゲラ)ザーコザーコと完全に侮る尾張大納言と、伝え聞く一揆軍の戦いぶりは舐めたらアッカッンー(舐めたらアッカッンー)と
諫める?(反論する?)紀州大納言の構図である。

これを近くで聞いていた人物がいた。

信州松代藩主・真田信之(71)であった。二人の言い分を聞いていた信之は

「軍の儀は左様にては無御座ものにて候。むかし亡父の安房守・昌之御意違ひ権現様より御譜代歴々一万五千にて信州上田城へ御取懸被成候我等二十三歳にて
 父安房守昌幸か先手致し候一戦に打勝候御人数を加賀川迄追討に四百計首を取申候御譜代歴々の鎧の推付を見申候其時の様子尾張さま御家老成瀬隼人可存候。
 我等了簡には紀州さま御意御尤と奉存候」

このように述べた。

意訳するとお前らの親父の譜代の兵一万五千に攻められたとき俺二十三歳で親父の先手務めたけど、勝って首400取ったわ。尾張大納言の家老・成瀬隼人がその時のことよく知ってんよ。
あ、俺たちの考えとしては紀州大納言の意見が尤もだと思いますよ。

尾張大納言はこれを聞いて咳をした。

お兄ちゃん、成瀬隼人正正成は12年前に死んだでしょ。と思ったけど知らなかったのかもしれないし名将言行録由来の話のようだし、あからさまに南龍公贔屓な内容だと
思うのでその辺も考慮する必要はあるかと思うが、島原の蜂起に対して楽観視する尾張大納言・徳川義直とそれに異を唱えて慎重論を唱える紀州大納言・徳川頼宣に、それに加勢しつつ
自家の武功をガッツリアピールする信濃のお兄ちゃんであった。

自らを慕ってくれる南龍公をアシストしつつお家自慢も交える真田信之の要領のいい?お話。




576 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/25(土) 11:30:43.08 ID:X1yrL8my
>>573
これ作り話で、真田ごときがこんな事言ったら取り潰しです

577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/25(土) 12:24:03.58 ID:J4tl1FN+
>>576
逸話スレでそんな野暮天言いなさんな

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/25(土) 14:30:19.10 ID:rYrwbmjl
>>576
こういうのは「じゃあ何でこういう話が伝わったのか」を考えるのが大切

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/25(土) 14:48:59.86 ID:aHWiSKfx
なんで?>南龍公をageたい
問題点>碌に実戦経験が無いのは南龍公もだから反論の説得力に欠けるな
解決策>ベテランの戦国武将に同意させれば説得力が生まれるな
対象者>南龍公と関係があって徳川とも戦った真田信之が適任であろう

こんな感じで産まれたんだろうか

581 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/25(土) 15:04:37.24 ID:yrJbFXGK
>>579
南紀徳川史自体が明治に紀州徳川当主によって編纂されたものだし、この逸話も本編末くらいにある様に名将言行録ベースの逸話なので紀州徳川ageのためそう言う風に書かれているとは思う。

尾張徳川義直の発言も実際はニュアンスが違ってたかも知れないけど、恣意的に思うし。

真田信之は自家が権現様の大軍相手に大勝した例を出して、一揆を侮ってはいけないと言う風に諭してるのだと思う。

でも、事実を言ってるだけなのでこの程度では>>576の言う風にお取りつぶしにはならない気もする
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    そして空気の水戸中納言

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >「其時の様子尾張さま御家老成瀬隼人可存候。」

    >お兄ちゃん、成瀬隼人正正成は12年前に死んだでしょ。と思ったけど

    「権現様の重要な経験談だから、成瀬殿生前のときに聞いてますよね?
     聞いてないわけないですよね?権現様の戦陣ですよ?権現様大好きですよね?
     権現様のご子息のうち要所を任されて大納言にもなられた御方が、
     権現様から付家老された成瀬殿から話聞いてないとか、まさかないですよね?」

    というように言っているようにも聞こえる

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    徳川義直「ち、父上様カラ三方ヶ原ト上田ノコトハキクナッテ…」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >これ作り話で、真田ごときがこんな事言ったら取り潰しです

    真田信之は小松姫(本多忠勝娘・家康養女)娶っているから、家康の義理の婿で
    紀州公や尾州公と義理(×2くらい?)の兄弟ともいえるが……
    だからと言って「やぁ(義)兄弟!」と話しかけられるわけもないだろうけどな

    将軍養女娶った大名って、御三家・御親藩とは比較にはならんだろうが
    立場的にはどんなもんなんだ?
    (そもそも養女を嫁として迎えられる時点で大名としての立場は強いだろうけど)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    この程度で改易だったらまーくんなんて腹切らされるんじゃね?
    「ぶっちゃけ天下狙ってました」なんて公言しちゃってるし忠輝の舅だし

  6. 人間七七四年 | URL | -

    作り話だとは思うが、進言役として一目置かれる人物に選ばれる真田信之が名将と見られていたってことでしょ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    家康養女嫁にして松平姓貰った山内家は近いのもあるだろうけど、島原の乱だと積極的に人や船を出してますね。
    真田は遠いのもあるから参戦は無いにせよ、細川忠利さんに色々助言したり。

    扱い的には分からないけど、真田家は昌幸と信繁のせいで結局苦労はしたのではないかと… 逆に山内家は忠実な御親戚と言うか。

    あと、池田さん家も割と良い様に動かされてた感が有りますかな?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    というかこれって
    意訳してる人が「真田が徳川を煽ってる」と決めつけた上に変な口調にしてるだけで
    寡兵で大軍を破った実例をあげて尾張の楽観論に釘を刺しただけだよな

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