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島原の乱勃発時の諸侯の議と紀州藩が派遣した武士十八人について

2021年09月26日 16:21

591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/26(日) 10:22:41.39 ID:mrf8lI+2
島原の乱勃発時の諸侯の議と紀州藩が派遣した武士十八人について

何か荒れてるので一応、南紀徳川史、巻二の寛永十四年十一月の記録の引用をコピペしますね。
(武将言行録ベースでないと思われる。)

十一月、嶋原賊起、将軍召三親藩、及諸侯議、
義直公曰、何者愚民及敢驌聚、可一鼓而屠也、
公曰、不然、彼戦有法、決非愚民所能、未易軽也、
眞田信幸曰、紀候言是也、臣父嘗以孤城、抗大兵大、
頗有斬獲、小寇豈可食侮哉、
於是使板倉重昌討之、命西海諸侯、公、遣長尾一在、山中友俊、市川清長、荒木高重等、赴役、

ここから注釈
(按ニ此時役ニ赴シハ長尾勘兵衛父子三人、吉田三右衛門、山中作右衛門、中嶋勘兵衛、荒木十右衛門、
 岡崎治左衛門、黒木興一左衛門、戸田興一、向井五郎八、芦川権太郎、森角左衛門、畔柳五郎右衛門、
 稲生長兵衛衛、片桐市大夫、山本市右衛門、市川勘右衛門等、
 余少カラス而シテ長尾勘兵衛、山中作右衛門ハ最軍功ヲ顕シ片桐市大夫ハ石川左門手ニテ討死、
 又井関又助男六助、四男彦三郎、五男孫四郎兄弟三人共、又助壱封ヲ残シ置出張、
 松倉長門守手ニ属シ六助彦三郎共討死孫四郎ノミ帰国、軍功ニヨリ新規五十石ニ被召出ノ事アレバ、
 子弟壮年ノ輩ハ、働稼キノ為、競テ出張ノ者モ多カリシナルベシ悉クハ知ルベカラズ)

注釈部分の前半十八人の内数名はやや名前が異なる者がいるものの、
松平信綱の嫡男輝綱がまとめた『嶋原天草日記』にも紀州公から遣わされ、
信綱一向に同道して現地へ赴いたという記載があるようなので紀州藩の記録としては
後世の改ざんとかは無い様に思われます。

あと、記録されてないけど後半に名前が出ている井関又助の息子3人以外にも勝手に出張って現地で戦った者が紀州藩にはいるみたいです。
先に書いた尾張大納言と紀州大納言の発言、そして真田信之の発言をただの逸話と見るか、実際の出来事と見るかは
各々の判断かと思いますが、南紀徳川史にはこういう記録も記載されているようです。

600 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/26(日) 14:33:41.85 ID:mrf8lI+2
>>591追記

寛永十四・十五年(島原の乱)当時の藩と島原の乱出兵状況(稿)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sgba/6/0/6_KJ00008545539/_pdf/-char/ja

こちらを読むと、北は仙台藩、東は水戸藩、南は紀州藩と土佐藩、西は長州藩などが島原の乱に使者を派遣し、中には使者なのに討伐軍に混ざって戦った記録がある様です。

ちなみに徳川義直公の尾張大納言家からは使者の派遣・参戦記録は無い様です。

仙台藩の使者の1人は戦後に加増、紀州藩からは18名が参戦したほかに徳川頼宣公の指示で軍船が大坂に派遣されて輸送の役を負ったりしたほか、井関又助の息子3人の様に勝手に参戦した藩士が多数居るみたいです。
あと、戦後松倉家の家臣だった佐野惣左衛門と息子の七左衛門を召抱えたりしたとのこと。佐野親子の戦いの記録は『嶋原覚書』とか『佐野弥七左衛門覚書』として『南紀徳川史』と『島原半島史』に所収されているとのこと。

ちなみに徳川頼房公の水戸中納言家から派遣された使者は戦後、勝手に戦ったことを理由に罰せられたそうです。
水戸家の使者(´・ω・)

水戸家などの使者について参考資料(2P目の(3)部分より)
https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-20520198/20520198seika.pdf
※PDF注意



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    尾張→不参加、使者すら派遣なし
    紀州→後援に積極参加、公式非公式に参戦多数
    水戸→使者派遣


    親藩筆頭終わりップさぁ…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    南龍公は南龍公でなんでそんなに好戦的なの…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    ・島原が近い
    ・大坂の陣の初陣で(思い通りの武功立てられなかったからと)泣くほど
    ・神君の薫陶が強い上に西の大藩かつ御三家。

    この辺が相まって(西における徳川の権威は)俺が守護らねばならぬとかやったー!戦争だー!(ウキウキ)って
    感じだったんじゃないかと。山内忠義同様、板倉重昌戦死の報を受けて追加の兵を派遣して、大坂に着いたところで終戦の報を受けたって記録もあるし、徳川家の身内として色々気負ってたんじゃないかとは思う。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    歳は近いが文人的な義直と好戦的な頼宣ってイメージがある

  5. ※2 | URL | -

    ※3
    つくづく生まれるのが遅すぎた戦国大名だねぇ
    鄭成功の日本乞師の時もノリノリだったらしいし…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2310.html?sp

    義直・頼宣のこの逸話見ると義直って口先だけのヘ○レってイメージが…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    島原の乱と紀州というと、どうしても山田風太郎の魔界転生を思い出してしまう…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    南龍公徳川頼宣のイメージはせがわまさきな十 〜忍法魔界転生〜のイメージ

    あの漫画は剣鬼喇嘛仏のその後も描かれてて良かった。

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