fc2ブログ

中々鬼にて御座候

2021年09月28日 17:39

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/28(火) 16:45:06.45 ID:DF35CRNy
関ヶ原の役における、伊達政宗勢と上杉景勝勢の衝突した松川の戦いにおいて、
上杉方の青木新兵衛は殿をして隠れない働きをし、その上伊達政宗と鑓を合わせ、
兜の立物(有名な半月の前立)を突き折った。総じて、若い頃より十六度の働きが有った。

関ヶ原後、景勝が米沢に移された時に暇を出され浪人した。そして越前黄門(結城)秀康卿に
召し出された。この時、永井善左衛門も召し出された。

加賀肥前守(前田)利長の茶の会に、秀康卿が御越しになり、その御相伴に政宗、
堀丹後守直寄、半井驢庵が参られていた。この時、数寄屋において政宗がこのように申した

「今度、奥州において骨折った能き者共を、黄門様が召し出されたこと、御重宝だと存じます。
青木親兵衛は(松川の戦いにおいて)鳥毛の棒の黒幌、十文字の鑓、瓦毛の馬(川原毛:
灰白色・黄白色で、たてがみ・下肢・ひづめが黒いもの)に乘っていました。
中々の鬼でありました(中々鬼にて御座候)。」

青木は大阪両御陣でも手柄が有り、後には法体となり、方齋と申した。

これについて、落合(主膳)と安田(能元カ)によると、青木のことを永井善左衛門と
取り違えて政宗が申され、そのため秀康様にそのことを落合主膳が申した事があった。
故ありて記さず。

(杉原彦左衛門覚書条々)



614 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:00:54.17 ID:qbAFEM+l
>>613
松川の戦い自体が無いのでそれはホラ逸話ですな。

松川が今は信夫山の北側を流れているが
当時は南側を流れている。要するに政宗が信夫山を占領していたとなれば
梁川城と大枝城を既に落せている状態。
ところが実際は政宗は落せていない。
 
           〇梁川城
==×=←今の松川
信夫山
〇        〇大枝城
==×=→当時の松川
〇福島城

要するに今の松川の流れる基準で
×想定される松川の戦いが戦記物には書かれているが
当時の河川の様子を考えると、政宗は梁川・大枝城を攻め落とさないと福島城(今の県庁)を
包囲するのは難しいと言える。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/28(火) 17:04:26.08 ID:kR2UOwai
松川の戦いで政宗と戦ったのは岡左内じゃなかったかと思ったら
岡左内とやり合った後に青木新兵衛に三日月折られて
ついでに斎道二に陣羽織を切り破られたのか
(松川の戦い自体、伊達と上杉の記録でいろいろ食い違ってるみたいいだけど)
青木新兵衛も岡左内も永井(長井?)善左衛門も蒲生→上杉でややこしい

616 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:05:32.19 ID:qbAFEM+l
よって明らかに構成の配置を元に書かれた話で
実際の松川の戦いは信夫山の北側での小競り合いじゃないかと言われている
また、家康が100万石のお墨付きで政宗の切り取り次第を推奨したのであれば
政宗の南進にSTOPをかけた書状に矛盾が出てくる。
政宗が南進せずに釘付けにしているだけで50余万石を与えるという条件を保護したという事になるわけだ
切り取り次第であれば、政宗も損害が出ても福島城を奪還して、梁川城と大枝城も領有したと思うが
そこで止まっている。

要するにそもそも松川の戦いなどというものは存在しておらず
家康は、政宗に南進するのはやめておけと書状を出しているので
政宗の切り取り次第という前提も無いと言える。

617 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:07:23.16 ID:qbAFEM+l
>>615
どちらにしても松川の位置が違うし
松川事件の松川という街も福島市内の南西部にある

松川の戦い自体がそもそも当時の地形を考えたら無いであろうし
福島城を攻めなくても信夫山に兵を置いて傍観しておけば政宗の仕事

618 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:11:41.10 ID:qbAFEM+l
(家康に上杉を釘付けにしておけばいい)という条件は達成するわけだから
焦って、松川に飛び込んで上杉と野戦する必要は無いと言える。

政宗が切り取り次第で領地を与えるとなるのであれば、家康の政宗の南進のSTOPの書状に対して
政宗が話が違うのではないか?と言って、上杉側に寝返る可能性だった有り得る。
そういうリスクを家康は考えていたわけだから、上杉を牽制すれば50余万石を与えるというとおり
政宗は松川ではなく、梁川と大枝のあたりで小競り合いをして釘付けにしただけだと思う。
そもそも当時の政宗に信夫山を占領する力があったか疑問だ。

実際行ってみればわかるが信夫山とれば福島城なんて鼻くそみたいな城(信夫山と比べると)だから
戦にならず撤収するはずなんだがな。

619 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:34:52.92 ID:wTypS4si
杉原彦左衛門親清は杉原親憲の一族で大老酒井忠勝の家臣であった
忠勝の命で上杉時代の記録を筆記したという

会津陣物語(杉原彦左衛門物語)、武辺話聞書、近世軍記、それぞれ延宝8年(1680)、景勝ファンを自称する近江大津の国枝清軒が諸文献をまとめたものである

620 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:38:58.25 ID:qbAFEM+l
地形図画像で説明

https://dotup.org/uploda/dotup.org2602707.png.html

家康が切り取り次第であれば、政宗に福島城を落せと命令するはずなんだけど
家康は上杉を釘付けにしろと言っている。
その場合、信夫山を占領しておけば上杉勢の本隊は西の板谷峠から攻めて来ても耐えうるし
無理な場合は西山城に政宗は撤退すればいい。

621 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/09/28(火) 17:39:56.78 ID:qbAFEM+l
>>619
ふむふむ。福島市に土地勘がある私からすれば、米沢の人間が適当に書いた軍記物なんだろうなと思う。

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/28(火) 17:51:23.62 ID:wTypS4si
いや、米沢藩が関が原以後60年ほどは福島市を領有してたの忘れないでね?
福島市の置賜町ってなんで名前が付いたか知ってるでしょ
米沢市にも信夫町があるけどね
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なるほど、余所者は話に入れないな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    陣羽織は剥がれるわ、兜は折られるわ
    逸話だと散々な目に遭う政宗公

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    某文化財「散々な目に遭って当然」

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/13192-58f6f04a
この記事へのトラックバック