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週刊ブログ拍手ランキング【09/23~/29】

2021年09月29日 18:24

09/23~/29のブログ拍手ランキングです!


紀州大納言 vs 尾張大納言 with 真田のお兄ちゃん 14

雨森九太夫最期の戦い 11

【ニュース】豊臣秀吉の遺影や戒名を宇宙へ送る 10

【ニュース】義姫の人物像に迫る機会に 山形で尊像のみ入れ式 9
後醍院宗重の「本藩人物伝」における記述 8
ニコラス (17世紀の日本人修道士) 8

雨森九太夫の強弓 7
島原の乱勃発時の諸侯の議と紀州藩が派遣した武士十八人について 6

中々鬼にて御座候 5
横田大学の事 5
「明赫記」続き 5
薩摩藩「本藩人物誌・女子伝」より「大寺氏女」 5

一正は孝の道を失い給わなかった 4
雨森九太夫と観音岩 4
伊地知周防守重興について 4
景勝譜代の主にて候間、御免下され 4

讃州十河城落去記 3
仙石権平は18歳の若武者なれども 3
権平の伝承 3
「明赫記」菱刈叛逆馬越城落城の事 2


今週の1位はこちら!紀州大納言 vs 尾張大納言 with 真田のお兄ちゃんです!
島原の乱に対する、尾張徳川義直と紀伊徳川頼宣の見解の違いについてのお話ですが、これは出典が『『南紀徳川史』』
であることからも、頼宣表彰のための内容だということは明らかですし、また後に御三家の中でライバル関係となる
紀伊家と尾張家の有り様を反映もしているのでしょう。
またこの時間に入ったのは真田信之ですが、この場合、彼が徳川とも戦ったことの有る、戦国生き残りの
長老格だったこと。また、そもそも島原の乱の一揆衆についての話でしたから、ここで信之は過去の真田氏の戦いを
一揆勢、すなわち幕府軍に比して弱者の側とし、「弱者だからといって必ず負けるというわけではない。」という事を
実体験を以て説明したということなのでしょう。そういう部分でも、非常に適切な配役であったと言えると思います。
真田家というのは実際には準譜代とも言うべき待遇を受けており、そういう半ば身内である、という面からも
登場させやすかったのかもしれません。
紀伊家、尾張家、真田家、このお話が成立した当時の、夫々の家の立場、あり方、関係性を感じさせてくれる、
そんなお話だと思いました。

2位はこちら!雨森九太夫最期の戦いです!
これは丁度、1位の論争の元にもなった、島原の乱で幕府軍が一揆衆に敗れたお話ですね。ここで雨森九太夫は
突進しようとする板倉重昌を止めるも成せず、結果として雨森もこの無理な攻めの結果負傷し、それが元で
没するわけで、現代的な目からは無為な死に方と言えるかも知れません。しかし一面では、戦場での死という
武士として栄誉有る死に様であり、だからこそこのように記録もされたわけで、本人の家族、或いは山内家の人々にとって
その受け取り方は異なるものであったでしょう。正しく「家の誉れ」であったわけですから。
当時の勇者らしさ、というものを感じさせてくれる、そういう話でもあると思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!一正は孝の道を失い給わなかったです!
いわゆる豊臣「三中老」であったと言われる生駒親正とその嫡男一正のお話。関ヶ原で父が西軍に、子が東軍に付き、
戦後その功に変えて父の罪を赦してもらう。こういった話は真田が有名ですが、わりとあちこちで見られ、当時の
混乱した様子をよく表していると思います。ただ生駒親正で面白いのは、いわゆる「関ヶ原の合戦」が始まる前に
既に高野山にて謹慎していることで、これは関ヶ原での決戦前に、既に東軍優位という観測があったことを表していると
考えられ、関ヶ原の全体像を考える上でも大切だと思います。
生駒親正、一正父子は非常に政治の流れを読むのが上手く、織田、豊臣、徳川という変動期を上手く生き延びたと
言えます。しかしながらコメントなどでも指摘されていましたが、孫の高俊の代に「生駒騒動」を起こしてしまい、
結果的に改易となります。このあたり、平和な時代であってもただのうのうと生き残れるわけではない事もまた
教えてくれますね。色々と考えることの出来る、そんな内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    悪い話スレへのリンクが古い(48は完走済)ままになっています。更新よろしくお願いします。

  2. まとめ管理人 | URL | -

    ※1
    ご指摘ありがとうございます。直しておきましたー

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ありがとうございます。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    『孫の高俊がなぁ』とコメントした者です。
    改易されて流罪になったとはいえ、
    生駒高俊は出羽国由利郡矢島(現在の秋田県由利本荘市)に一万石もらって
    家は続いています。
    高俊の子二人で一万石を分知したため交代寄合になりましたが、
    戊辰戦争で新政府軍についたことで1万5200石になり
    大名へと復帰し廃藩置県を迎えています。
    家が続いただけでも良しとせねばならないところ、
    大名に復帰することができたなんて
    何事も続けることが大切なんだなと
    思わせてくれる家だと思います。

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