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阿州の老父が語って曰く、

2021年09月30日 15:31

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/29(水) 20:55:33.28 ID:bIhkFL35
阿州の老父が語って曰く、

「阿波国は辺鄙の山国であるから、刀脇差といっても世間の結構な拵えのように
は10人に1人もならずして、“山刀”といって椛巻の鞘で葛巻の柄のものを誰も
彼もが差しており、山賤の男どもが用いるに足るようなものだった。故に山中の
凡民までも武用に立たない者は1人もいなかった。

むかし阿州海部の城主、左近将監吉清(友光の子)という人がいた。その武功は
世に隠れなし。自ら刀を作ることを喜んで濃州備州の鍛冶を招き、これらととも
に鉄を鍛え刀を作った。後年は上手になってその作を世に遣り、人に用いられた。

“海部打”は刀が折れず屈せずして、竹木を切るによろしく、また物切れである。

元亀年中に阿讃の内乱があった。(海部氏は)寒川氏を攻めんと讃州に出陣した。
その留守を考えた土佐の元親(長宗我部元親)は阿州へ出陣し、海部城を陥して
南方二郡を奪った。これより食邑を失って、三好家に寄食した。

その以前に元親の弟弥九郎(島親益)が上洛して帰路の時に、海部佐奈の湊に舟
かかりした。すると海部より押し寄せて弥九郎を打ち殺した。

元親はその憤り深く、四国が元親に属する時に殺されんことを恐れて姓名を変え
て行方をくらまし、京家になって蜂須賀阿波守殿に出仕した。元和寛永の打物に
海部左近将監吉辰という者がこれである。

また備中国松山の城主、石川左衛門尉という人も刀を作ることを好み、その作が
世に残っているのだとか」

――『南海通記(老父夜話記)』



639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/30(木) 02:52:10.09 ID:lSVtxilg
鍛治師って火の熱で目がやられて隻眼でタタラで膝関節がやられて足が悪いって聞くけど実際どうなんやろ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/30(木) 03:57:29.37 ID:kqNBNHgI
映像とか見てて思うけど刀鍛冶ってゴーグルしなくて異物が目に飛び込まんのかな?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    赤松政則といい意外にポピュラーな嗜みだったのだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    海部刀は鎌倉時代から盛んに作られ
    蜂須賀家の庇護を得て幕末まで作られ続けたとか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    作刀で、目とかを痛めるのは結局程度の問題だと思う。
    江戸時代でも趣味作刀は、千種有功とかおるし(公家。正三位近衛権中将

  4. 人間七七四年 | URL | -

    あれは誰の逸話だったか、師匠の秘伝を盗むために煮えたぎる鉄に手を突っ込んで温度を確かめた鍛冶がいたな
    目が潰れるくらいはプロなら当たり前なのかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「焼入れのときに突っ込む水の温度に秘伝があって云々」て話だと思ったけど

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    そうかもしれん、何分うろ覚えだ
    google先生に訊いてもよくわからない

  7. 人間七七四年 | URL | -

    海部打ってどんな刀なのかと調べてみたが
    のこぎり付きとかなかなか実用的でユニークなのが多いな、

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >のこぎり付き
    海で作業する際に縄を切ったりなど実用的だったからという
    海賊らしい仕様だな

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