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島津義弘公が乗っていた女馬は

2021年10月01日 17:03

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/30(木) 17:23:55.43 ID:IxxOrnKo
木崎原御合戦伝記」の他の逸話
島津義弘公が乗っていた女馬は83歳まで生き、
袖木崎丹後が斬りかかってきた時、膝をついて義弘公の槍の手助けをしたため、膝つき栗毛と言ったそうだ。
亀泉庵に葬り、今は石塔・碑文があるという
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6971.html
上の「名将言行録」の逸話では長寿院栗毛という別名も持っていて86歳まで生きたことになってるが、83歳でも86歳でもさすがに無理が



645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/02(土) 09:12:45.01 ID:XwoUHwJj
>>641
牝馬は牡馬を発情させて陣を乱れさせるらしいから勝てたのはそのお陰だろう
のちに伊東祐兵から聞いた淡河定範がパクった
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    何故軍記作家は馬の年齢を盛りたがるのか
    それとも取材元の伝承にそういう傾向があるのか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    そういやかの百段も結構な長生きだったような

  3. 人間七七四年 | URL | -

    島津の馬って朝鮮馬だっけ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    膝つき栗毛という名前になる前は「りゅうはく」
    という名前でした。
    (JR九州の栗野駅にそのことが書いてある
    看板あり)
    あと、本によっては人間の歳に換算して86歳と
    書いてました。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    龍伯公、まさか弟の馬の名前を羨んで…>りゅうはく

  6. ※4 | URL | -

    ※5殿
    漢字ではどう書くか忘れてしまいましたが
    龍伯ではありませんでした。。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    はたして逸話が編纂された当時、馬の年齢を人間の年齢なら…
    と計算する習慣があったのだろうか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7殿
    その本は、逸話が編纂された時期より大分あとに
    まとめられた物でしたので
    著者が計算したのでしょう。

  9. ※5 | URL | -

    ※6
    調べたら桐野作人先生のツイートがヒットしました。「竜白」が正しいみたいです。
    しかし桐野先生もやっぱり龍伯公を連想した御様子…w

  10. ※6 | URL | -

    ※9殿
    ありがとう御座います。
    そうでした!桐野先生のTwitterにも
    ありましたね。
    (鹿児島の新聞にも名前の記事が載っていて
    保存していたはすなのにどこに置いたか……)
    みんな連想しちゃいますよね。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    サラブレッドの場合ざっくり実年齢に×4すると人間の年齢に換算できます。
    在来馬もそうかは分かりませんが仮に21歳強で亡くなったと考えるとまあ自然かと。

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