83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/04(月) 17:51:02.06 ID:6U4FoXck
「世録記」によれば
龍造寺との戦いに於いて有馬から救援要請があったため、新納刑部大輔忠尭(忠元の長男)と川上左京亮忠堅が派遣され、敵方の深江城を攻めることとなった。
忠堅は(一番槍で負った)いくさ傷を意気揚々と忠尭に見せ
「戦で傷を負う、これこそ男子の本懐というものよ」と得意になったところ
忠尭は「新納刑部大輔忠尭の名を敵軍に知らしめてやる!」
と言ってつっこみ、乱戦の中で死んでしまった。
(享年三十)
「本藩人物誌」によれば
川上忠堅の方はその後の島原合戦(沖田畷の戦い)の首途の宴会の席で家久の息子の又七郎忠豊(豊久)から盃を受けた時に
「今日は龍造寺隆信の首を取ってご覧に入れてみせます」と言ったところ
新納忠元から「今の言葉は軽率すぎる」とたしなめられたが
「妄言ではありませぬ、きっと取ってみせます」と反論したため、周りもあまりに放言がすぎるとあきれてしまった。
その日、足軽大将の簗瀬兵右衛門たちとともに敵兵に紛れて本陣に突入し、隆信に槍を入れ、簗瀬に首を掻かせて義久公のもとに送り、御実験に入れた。
その後、筑紫広門の鷹取城攻めの際、広門の弟(もしくは息子)の春門と戦って際、忠堅は春門を斬ったが春門も忠堅の右手を切り、相討ちとなった。
(享年二十九)
「世録記」によれば
龍造寺との戦いに於いて有馬から救援要請があったため、新納刑部大輔忠尭(忠元の長男)と川上左京亮忠堅が派遣され、敵方の深江城を攻めることとなった。
忠堅は(一番槍で負った)いくさ傷を意気揚々と忠尭に見せ
「戦で傷を負う、これこそ男子の本懐というものよ」と得意になったところ
忠尭は「新納刑部大輔忠尭の名を敵軍に知らしめてやる!」
と言ってつっこみ、乱戦の中で死んでしまった。
(享年三十)
「本藩人物誌」によれば
川上忠堅の方はその後の島原合戦(沖田畷の戦い)の首途の宴会の席で家久の息子の又七郎忠豊(豊久)から盃を受けた時に
「今日は龍造寺隆信の首を取ってご覧に入れてみせます」と言ったところ
新納忠元から「今の言葉は軽率すぎる」とたしなめられたが
「妄言ではありませぬ、きっと取ってみせます」と反論したため、周りもあまりに放言がすぎるとあきれてしまった。
その日、足軽大将の簗瀬兵右衛門たちとともに敵兵に紛れて本陣に突入し、隆信に槍を入れ、簗瀬に首を掻かせて義久公のもとに送り、御実験に入れた。
その後、筑紫広門の鷹取城攻めの際、広門の弟(もしくは息子)の春門と戦って際、忠堅は春門を斬ったが春門も忠堅の右手を切り、相討ちとなった。
(享年二十九)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
薩摩ん兵児っていつもそうですね…!龍造寺のことなんだと思ってるんですか!?
( 2021年10月05日 18:05 )
人間七七四年 | URL | -
※1
トヨトヨ「頸バ奪らるっことん他に、ないがでくっとか?(迫真)
( 2021年10月05日 18:28 )
人間七七四年 | URL | -
※1殿
今まで出ている逸話を読めば
「なにを今更」な状態ですよ。
( 2021年10月05日 19:20 )
※1 | URL | -
※3
「手足の付いた手柄」と認識している節がありますな。
( 2021年10月05日 20:06 )
※3 | URL | -
※1殿
鎌倉時代は他の大名よりも大人しい部類
だったのにどうしてこうなったな気分ですよ。
※1殿の「手足の付いた手柄」に反対できない……
( 2021年10月05日 20:28 )
人間七七四年 | URL | -
忠堅の弟の川上シロンペロン忠兄の従者の柏木源藤が島津退き口で井伊直政を落馬させてるから
川上兄弟を合わせればなんとなくドリフの豊久っぽく
( 2021年10月06日 07:09 )
※1 | URL | -
まあ周りは鎌倉武士よりソフトな南北朝武士と比べて人道的と言える室町武士を優雅にした感じの戦国武士なので
ことによると平安時代の遺風を残している島津が周囲から浮くのは残当
( 2021年10月06日 18:03 )
※3 | URL | -
もう、周囲から浮くのは諦めて
オンリーワンで行くしかないなあ。
つ「モンスターハンターライズ」×
「仙巌園」
つ亀寿姫生誕450年「みんなのジメサァ展」
( 2021年10月06日 19:21 )
人間七七四年 | URL | -
11月1日より
『戦国無双5』と戦国島津が仙巌園で始まり
ますよ。いろいろコラボ企画ありますよ。
( 2021年10月08日 19:25 )
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