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週刊ブログ拍手ランキング【09/30~10/06】

2021年10月06日 14:23

09/30~10/06のブログ拍手ランキングです!


島津義弘公が乗っていた女馬は 19

松永久秀滅亡の時 17

運命の不足は何を貪って取りなさる 15
これこそ男子の本懐というものよ 13
仙石久勝最後の戦い 13

阿州の老父が語って曰く、 12
更に主従の区別も無いほどであった 11
予州の老父がまた語って曰く、 11

ささ、存分に飲み候へ 10
「明赫記」忠平公木崎原御合戦の事 6
その家業を失うべからず 4


今週の1位はこちら!島津義弘公が乗っていた女馬はです!
島津義弘の愛馬、膝つき栗毛についてのお話です。この逸話では83歳まで生きたとか。馬の平均寿命は
25~30年程度だと言われます。相当に長生きして40歳だとか。そう考えると83歳というのは凄まじいものですね。
この手の長寿の話についての説明として、「軍記物の誇張癖」というものもありますが、寿命については、
人間でもそうなのですが、複数代説というものがあります。
中世は「家」を基礎とした社会であり、そのため家の当主は代々、その「家の名」と言うべき通称や受領名、
官位名を継承しました。よってその家の人物が記録などに現れる場合、何代かにわたっていても同じ「〇〇守」などと
記されがちです極端な話だと。甲斐小山田氏が3代にわたって信有の諱を用いた事が有名ですね。
この場合は、「膝つき栗毛」という名が個体名を越えて、代々の義弘の愛馬を表すものとなり、
結果的に「膝つき栗毛」の名は80年を超えて記録されたのではないか、という事です。
それにしてもよほど印象的な、名馬であったのでしょう。だからこそ後世にまで名が伝わったのでしょうしね。
そういった存在に様々な伝説が付加されるのは人も馬も同じ。そんな事も考えた逸話でした。

今週の2位はこちら!松永久秀滅亡の時です!
松永久秀の最期についてのお話。平蜘蛛の事や彼の娘の事など、非常に綿密に描かれていますね。久秀の滅亡と
いうものが、大変劇的なものだったという印象が強かったことが、この描写からも解ります。
また後の、信長の本能寺での滅びに結びつけているのも面白いですね。かつて、信長と同じ「弾正」「霜台」として彼は
京を支配したわけで(信長が上洛時に尾張守から弾正忠に改称したとき、久秀は山城守に改めています)、
何かしらの一致性を感じられる面もあったのでしょう。
昨今の三好氏研究の進展に伴い、様々に研究の進んでいる久秀ですが、同時代、近時代の人々が彼に持った
印象と実態を比較してみるのも、久秀という人物を考える上で大切だと思います。
そんな事も思わせてくれた内容でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!予州の老父がまた語って曰く、です!
こちらは肥前菊池氏に伝わったとされる源範頼の馬のお話。なんと5百歳!そりゃあその弔いに1千有余人も出るでしょう。
これも合理的に考えると、源範頼由来とされた馬の血統が戦国期まで続き、そして小早川秀包の元でその血統がついに
絶えた、という事を、一種の象徴的に表現したものだと推察できます。五百年血統が続くだけでも充分に凄いことでは
ありますね。人の世界でも中々ありません。そんな馬が、菊池氏、大友氏、そして小早川秀包と数奇な世の中の変転に
巻き込まれた事から、様々な感慨を感じることも有るでしょう。
鎌倉南北朝室町という時代をまるまる内包し戦国の終わりに散った、非常に象徴的なお話でも有るな、なんて感じました。



今週も各逸話にたくさんの拍手をいただきました、いつも、本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
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