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古の士は弓射ちして矢を作ってこそ

2021年10月08日 17:01

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/07(木) 20:40:00.08 ID:TSXgTVil
ある老父が語って曰く「古の武士は兵具を各々自分の手で作って用いるのを
上士といったのである。我が曾祖は香川郡井原の郷司の漆原という者だった。
寛正の頃であるが将軍家に参勤した。

ある時、細川勝元へ将軍家より征矢を賜る。勝元は拝して自愛深く、漆原を
呼んでこれを見せた。漆原某は曰く『この矢はこの私が作った矢です。どう
いう入れ違いで上覧に入ったのでしょうか』と言った。

勝元がその証拠を問うと、漆原はその矢の沓巻を解いて、矢柄の中から“讃州
井原ノ住漆原”と記された書を出し、また元の如く沓巻して勝元に返進した。

勝元は称美して奇作とし『古の士は弓射ちして矢を作ってこそ、上能の武士
である』と称誉したのだ」ということであった。

――『南海通記老父夜話記)』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    古の士「自作したパソコンでパソコン通信するのが上能のオタク」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    きっと武功を証明するためだよね
    相当矢作らなきゃいけないな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    矢作氏っていう古代豪族いるくらいやから昔はさぞかし矢作ってたんやろな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    矢矧・弓削・楯縫・刀工・甲作
    律令の息遣いを感じる良い武士か。

    個人装備の楯は大鎧に収納されてしまうやや不遇の位置づけだが。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    弓馬が武芸や武士、戦の異称ですからねえ。
    馬乗って弓を射るのが武士だという考えかと。
    兵器としては鉄砲が出て来て弓の立場が小さくなった様も思われてますが、それでも江戸時代前半は三十三間堂の通し矢が大名家の威信を賭けたものになってますし、武家諸法度も初期は文武弓馬の文言が有ります(綱吉の天和令からは文武忠孝になりますが)からね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    多分弓術の流派ごとに(騎射・歩射問わず)それぞれ矢の作り方・選び方の秘伝があったんでしょうな。
    ということは矢は使い手が自作するのが普通だったのかもしれません。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    鏃も規格品じゃないから個人の好みで造ったんだろうな
    為朝の幅10cmだかもある鏑付きの雁股も
    鳥の首を両断するには巨大過ぎるので
    人の首や手足を両断する為に造ったんだろうし

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    それだけデカい鏃と強弓が合わされば軍船の一隻くらい沈められそう(感覚麻痺)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    日本初の国産対艦ミサイル「TAMETOMO」の誕生である。
    なお最終的には沖縄に配備される模様。

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