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寺は人を救けるために

2021年10月16日 15:17

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/16(土) 00:11:20.52 ID:MYzB5DE6
島津氏領内の寺院には、従来山門が設けられていなかった。
そこで島津義弘公の時代に、「山門が無ければ盗難の禍が有り、ついては何れの寺院も山門を建立すること
勝手たるべき。」旨の御許を受けたいと願い出た。

公は一応、その願いを聞き届けられたが、「ただし、寺は人を救けるために建てられたものである。
門を立てれば、人に追いかけられるなどして寺を頼み来る者に不便が多いだろう、であれば、門を
閉めても寺に入れるように、門の戸に添柱を立てて、これを登り越せるように致せ。」
との御諚であった。

そこで薩摩藩の寺院はその後、山門に添柱を立てて、横木を入れる事となった。
こういった事は他藩の寺院には絶えて無き事である。

軍神島津義弘公



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ薩摩藩の寺院は廃仏毀釈で全部やられちゃうんですけどね
    こんなに地域に尽くしてきたのになんて仕打ちだ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代の寺社は臨時の砦や出城として諸大名に大いに活用されてたけど
    九州南部は事情が違ったのか
    真宗の一揆勢が立て籠るので裸城にしたかったなら分かるが
    何か他に理由があるのかな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    外征に出るまでは一族同士の争いがひどかったようだし>島津家
    そこら中に野戦城候補があるよりすぐ崩せるほうがましという判断なのかな

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