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週刊ブログ拍手ランキング【10/14~/20】

2021年10月20日 17:56

10/14~/20のブログ拍手ランキングです!


殿様、お召し上がりください 10

冬康の仁徳は 10

寺は人を救けるために 9
『南海通記』書尾 9

宍戸家の者共の志は、何れも健やかである 7
老鼠死而猫憂 7

ぜひ御供させてください!御許しくだされ! 6
「大友興廃記」より「留守の火縄」 6
今や日本は戦国にして 4


今週の1位はこちら!殿様、お召し上がりくださいです!
関ヶ原から撤退の折の薩摩軍の食料が尽きるという、有名な逸話ですね。おそらくそもそもは、この記事のレスにも
あった 中馬大蔵、島津義弘の兵糧を奪う・悪い話 が元になったのでしょう。そして江戸時代的な武士倫理によって
徐々に漂白されていった結果、、このような逸話に成ったのかなと思います。このお話の薩摩武士たちは、
近世初期にしては洗練されすぎている気がするので。それでも当然のように民家に押し入って食料を略奪しますがw
こういった逸話形成の過程を見ると、時代によっての意識、文化の変化、さらにその大名家化中の構成の変化などの
影響が見られ、逸話の中からそういったものを考察してみるのも面白いと思います。そんな事を感じた内容でした。

今週は同票でもう一つ!冬康の仁徳はです!
こちらは長慶をはじめとした三好四兄弟の三男、安宅冬康についてのお話ですね。安宅冬康は淡路衆を率いて
兄・長慶の覇業をよく輔け、またこの逸話からも見られるように、穏やかな性格で仁慈な人物であり、人々が彼を
慕ったという話が伝わります。このお話が収録されている『南海通記』の書尾にが寛文三年(1663)三月と
あり、『南海通記』書尾の記事からも見られるように、元亀頃に生まれた人たちが語ったことを取材し記録したのだとされます。
とすると、それを語った人々にとっても、永禄七年に死んだ冬康については伝聞、伝承として聞いたものという事になります。
おそらく冬康はその死後早い段階で、仁将というイメージが強くあったのでしょう。
結果として兄・長慶の命により冬康は殺害されるわけですが、或いはそういった彼の人望が問題に成ったのかも知れません。
色々なことを想像させてくれる、そういった記事だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!老鼠死而猫憂です!
加藤清正という人は秀吉によって肥後半国を与えられて以来、島津氏を強烈に仮想敵にしていたらしく、レスなどにもありますが
庄内の乱における介入もそうですし、また関ヶ原後に建築された熊本城も、清正の時代は薩摩方面からの防衛に
特化した城であったとされ、最後まで島津氏に対する警戒が強かったと考えられます。勿論こういった意識は
島津氏にも届くわけで、故にこういった逸話も残されたのでしょう。考え方として古代ローマに於いてカルタゴを
滅ぼすことを、強力な敵の存在しなくなることにより社会が分裂し腐敗するとして反対したナシカ・コルクルムを
彷彿とさせます。一種の勢力均衡論的な発想が、この時代にも在ったのですね。
そんな事も考えさせてくれた内容でした。



今週もたくさんの拍手を書く逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を着付けたときは、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >徐々に漂白
    言い方ァ!

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