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陶長房の滅亡

2021年10月21日 17:32

陶長房   
100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/21(木) 16:14:26.25 ID:vu/Oysxu
陶五郎長房は父入道(陶晴賢)を始め一門支葉、譜代恩顧の者までも芸州厳島に於いて
悉く討たれ(厳島の戦い)、また倉掛、沼の両城も没落したと聞いて、周防国都濃郡富田の
富田若山城に閉じ籠もるより術なく在ったが、これを聞いて毛利元就父子は、宍戸隆家、
小早川隆景は直ぐに富田表へ打ち出て若山城を囲んだ。

この時大内累代の臣である杉伯耆守重矩の二人の子、杉弾正重輔、同七郎正重は、去る天文の頃
父重矩が陶晴賢に殺されて以来、時節を以て親の仇を討つために豊前国箕島に在り、恨みを防州の雲に馳せ、
憤りを箕島の浪に漂わせ、時を窺い日を移していた所に、陶入道は厳島に於いて一族もろとも討たれ、
五郎長房も若山の城に籠もっているが、日を移さずそこも落城するだろうと聞き、杉兄弟は

「主君の讐、親の敵である晴賢を討てなかった事は心外であり口惜しい。剰え五郎に矢の一筋も射掛け
なければ天の咎もいかがであろうか。生前の面目、死後の恥、永々以て免れない。片時でも早く
打ち渡り、胸中の恨みを散じなければ。」

と、兄弟打ち連れて走るその様子は韋駄天の如くであった。すると前代報恩の者たちがここそこより
集まり、その勢百ばかりに成って、弘治三年(1557)二月二十二日、若山に駆け付け見ると、
若山城は毛利勢が取り囲み、旗幟が並んでいた。そこで杉兄弟は搦手へ廻ると、城中よりこれを見て、
彼等は下口より敵が来るとは考えていなかったため、この勢は必定大内義長からの加勢であると思い、
門を開けて彼等を入れた。杉兄弟は自身で謀る事を成さずに、安々と城に入ると、城中より切って出ると、
城を取り囲んでいた毛利勢は、城中に返り忠の者が出たのだと思い、我先にと乗り込むと、即時に城は
乘り落とされた。

五郎長房は山口に落ちようとして、徳地の庄まで落ちた所で、この地は吉見正親の領地であり、
郷民たちは蜂起して彼を通さず、よって徳地に於いて害された。こうして陶一族は根を絶ち葉を枯らした。
君を弑した悪逆の因果、不昧は臣たる者の咎である。

(宍戸記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    読ませる文章だなあ
    真偽は詳しくないからわからないけど

  2. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    生々しく感じる文章だったな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    味方敵方とも予想外の要素で決着がついているあたりが軍記物っぽくないね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    事前に毛利に一言言っとかないで、陶方と勘違いした毛利に討たれるリスクは無かったんだろうか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    この話だと山口市街戦に話が繋がらなくて、誰が山口の街を焼いたのかわからなくなるな
    しかもこの兄弟、『主君の讐』ってお前らの親父クーデターにかたんしたがわやんけあ

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