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尼の子と成って以来

2021年10月25日 17:47

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/25(月) 16:28:47.23 ID:1KOF0XaZ
尼子の家は宇多源氏佐々木の一流、塩冶判官高貞五代の後胤である。塩冶高貞が讒死した時、三歳の
幼子が有り、八幡太郎と言ったが彼は母親の元から出され、密かに養育し、この時尼の弟子と成して
命を助け、その後出雲国に入り月山富田城に住し、やがて子孫が出雲、伯耆、因幡、石見、隠岐の五ヶ国を
領した。

尼の子と成って以来、家が再興された事により、氏を改め尼子と名乗り、この由緒を忘れない事を示した。
尼子家は山陰道の守護職に補任され、武威を他国に振るい、それだけではなく旗を山陽に動かし
備後、備中、安芸の大半に鉾先を傾け、関西に於いては大内尼子の両家に肩を並べる者は無かったが、
右衛門督晴久の代に至って逸遊を好み、治国撫民の徳を失い、蒙昧にしてそれまで親しかった者たちを
遠ざけ、他人を近づけ、君臣共に奢侈となり、花車風流のみにふけり、武道を忘れ文を試みず、
忠臣は志が齟齬する事で身を奉って退き、又は讒言に遭って死んだ。そのようであったので分国も
日々に侵食され、遂に家を失った。

嗚呼、尼子を滅ぼす者は尼子であった。元就には非ざる也。

宍戸記

尼子氏は近江国甲良荘尼子郷が名字の地とされていますが、先祖が尼に育てられたから尼子、という
話もあったのですね。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    尼子も結構な珍名というか、室町戦国以外では聞かない姓なので諸説生まれたんでしょうね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    軍記講談で大人気の尼子十勇士の先祖が平凡な出自であることなど許されない(使命感)
    …という気分があったのかもしれない。なかったかもしれない。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    因みに現在でもご当地には尼子の地名が残っております。が、甲良町の尼子と隣町の多賀町にも尼子という地名があってややこしくもなっております(バス停では多賀尼子表記)by地元民

  4. 人間七七四年 | URL | -

    尼ではなく海女だった可能性も…?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    天霧城にも尼斬城の逸話があるし、大体後世の言葉遊びの産物やね

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