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豊国社の燈籠

2021年11月04日 16:50

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/03(水) 17:48:46.27 ID:WX8QJ/Xl
ある覚書に曰く、京(方広寺)大仏殿の前に石灯籠が三十三基ある。これは元来豊国社の
灯籠であり、この社が建立された時、諸大名より献じられたのだが、大阪夏の陣を経ての豊国社破壊の後
ここに移され、この燈明を燈した。これを行うのは山崎離宮八幡の社人の役であった。

その謂れは、秀吉公の代までは由緒が有り、日本国に於いて油を絞る事は、山崎社家の他は禁止されていた。
これについて、秀吉公より袖判を賜っていた。そしてこの恩謝として、豊国社の燈明役を勤めたのである。

その後、現在の場所に移されても、この例を以て、京都所司代板倉周防守殿(重宗)の計らいによって。
燈籠一基につき銀九十三匁づつ下され、永代灯さんとの事になった。それ故に山崎よりこの辺りに家を構え、
火燈しの役人を置いていたのであるが、時代を経て今はその事廃れてしまった。
ではあるが、この旧例によって今に至っても、年始礼に山崎社家より妙法院御門跡へ胡麻油五升、
一乗院御門跡へも同様、老中所司代へも同様、京町奉行へ三升づつ進上する。

石灯籠の数、豊国社には六十六基が有ったと云うが、今大仏殿に立っているのは三十三基である。
『奉寄進豊国大明神』『慶長』の文字、或いは紋所等が僅かに残るという。

新東鑑
安永年間(1772~81)に成立したとされる新東鑑より、豊国社の燈籠について



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    春日大社の釣灯籠も大久保石見守とか備前中納言とかの銘があって
    なかなかのものだったな

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