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徳川家康、藤原惺窩に叱られる・悪い話

2009年02月14日 00:15

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 08:35:26 ID:D+QtZAOB
>>781からの惺窩の話を見て思い出した話。 
藤原惺窩は徳川家お召し抱えの儒学者林羅山の師。
彼は中世の大歌人藤原定家の十二代目の子孫として、毅然たる生き方を持っていた。
慶長元年(1598)宗に渡って勉強しようとしたところ、船が難破し鹿児島の南方鬼界ヶ島に漂着。
そこで一年を過ごすというとんだハプニングも経験した。

林羅山はある日この師を家康に紹介した。
家康は学問が苦手だが、召し抱えの学者がその師を紹介して講義を聞けと勧められれば、仕方がない。
「面倒だなあ」と思いながらも講義を受けることにした。
その気持ちが服装に表れたのだろう。
家康は講義を受ける際、茶筌髷(ちゃせんまげ)という内輪でリラックスするときのだらしないヘアスタイルだった。
それを見た惺窩教授「天子の国を修め身を修める法則を講義しようとするのにその態度はなにごとかっ!!」と一喝。
これには家康もびっくり。すぐさま威儀を正した服装に着替え改めて聞きなおした。
家康のちょっと行儀の悪い話。




901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 09:02:00 ID:xOmlGBEU
>>900
叱られる家康かわいいなw



902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 09:29:19 ID:HksLdLsQ
>>900
惺窩といえば看羊録の姜の弟子だけど、看羊録って
「伊達政宗なる者がいる。代々、陸奥一州に拠り、富貴さは倭国を傾けるほどである。
秀吉が信長に代わるに及び、政宗は、戦いに敗れ、服従を請うた。政宗の凶悍さは、
諸倭に比べて最も甚だしく、自分の兄や子まで殺したほどである。」
とか
「筑前中納言金吾なる者がいる。秀吉の本妻の甥で、輝元の女婿である。だいたい
その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。」
とか
「家康・輝元・景勝・政宗・義光・義弘等々」の世襲の領地では、「家来もみな代々の
家臣で、主将が戦いに敗れて自決すれば、その部下もみな進んで自決する。」
とか、秀吉のような成り上がり者の領地では、たとえ領土が広く、主君が勇敢でも、
「主将が戦いに敗れて自決すれば、その家来は、あるいは散り散りになり、あるいは降伏する」
とか、かなり冷静に人物や時代を分析しているんだよねい。



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 10:10:03 ID:l9lXgBOx
政宗は確かに結果的に父と弟(何故兄と子と逆に記録されたのかのう?)
を自らの手で死なせてしまったのだけど、それを儒教概念で正面から
批評されるのはキツイのう。

輝宗が死んた直後の政宗ってさ、怒りと動揺の末に家中の畠山報復の
機運に飲まれて二本松城を寒空の中で力攻めした結果、佐竹と南奥諸侯の
大連合を招いてしまうといった感じで、DQNというよりありがちな空回りして
迷走する若輩当主だもの。
それを乗り切った結果、大きく飛躍したわけだけど政宗にとっても父の死
自体は流石に辛い思い出だよね。不孝者と批評されても本人はその通りだね、
としか言わないだろうし。

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 12:15:30 ID:xOmlGBEU
>>903
>政宗にとっても父の死自体は流石に辛い思い出だよね。

果たして本人は辛いと思っていたかどうか・・・

917 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/13(金) 15:40:02 ID:jkQpTaU+
>>900
相手が秀吉だったら冠をひっぺがえされ、なかにゆばりをいれられるw
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