770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/06(土) 15:45:18.43 ID:7NAO91eo
ある人曰く、明和八年(1771)より五十年ばかりも以前、伏見街道正面上ル町に
晒屋善右衛門という者があったが、家の裏に井戸を作ろうと土を掘った所、底になにか物があって
掘り進めることが出来なくなった。そこで段々に人夫を使って掘り出して見ると、それは
六、七尺(2メートル前後)ばかりもある赤銅の箱のような物で、その長さは幾許という事を知れぬほどであった。
この事は人々の話題となり、そのままにもして置けず公儀へ訴えた所、直ぐに検使が派遣され
御吟味があったが、誰もこれが何なのか知る者はなかった。
そのような所に、時の京都所司代に豊臣秀吉の大仏普請の時の文書が残っており、その時方広寺の
廻りに七尺四方なる、長さ二十間(約36メートル)の赤銅を二十本、土中に埋めており、これは地震のために
したのだとあった。
この事は糸割賦の年寄である有来新兵衛、剃髪して宗清という者が若年の時見たという説話である。
(新東鑑)
秀吉が大仏殿の地震対策に、巨大な赤銅の柱(?)を周辺に埋めていたらしい、というお話。
ある人曰く、明和八年(1771)より五十年ばかりも以前、伏見街道正面上ル町に
晒屋善右衛門という者があったが、家の裏に井戸を作ろうと土を掘った所、底になにか物があって
掘り進めることが出来なくなった。そこで段々に人夫を使って掘り出して見ると、それは
六、七尺(2メートル前後)ばかりもある赤銅の箱のような物で、その長さは幾許という事を知れぬほどであった。
この事は人々の話題となり、そのままにもして置けず公儀へ訴えた所、直ぐに検使が派遣され
御吟味があったが、誰もこれが何なのか知る者はなかった。
そのような所に、時の京都所司代に豊臣秀吉の大仏普請の時の文書が残っており、その時方広寺の
廻りに七尺四方なる、長さ二十間(約36メートル)の赤銅を二十本、土中に埋めており、これは地震のために
したのだとあった。
この事は糸割賦の年寄である有来新兵衛、剃髪して宗清という者が若年の時見たという説話である。
(新東鑑)
秀吉が大仏殿の地震対策に、巨大な赤銅の柱(?)を周辺に埋めていたらしい、というお話。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
箱を開けるとそこには鈴之助の亡骸が…
( 2021年11月06日 16:47 )
人間七七四年 | URL | -
赤銅鈴之助って
半世紀くらい昔のネタを言われてもわからない
( 2021年11月06日 16:59 )
人間七七四年 | URL | -
人柱じゃないんだ
いや人柱が発掘される方が嫌だけども
( 2021年11月06日 17:55 )
人間七七四年 | URL | -
※3
お寺に人柱があったら相当怖い。
でも普陀落渡海や生き仏はあったっけな。
( 2021年11月07日 00:04 )
人間七七四年 | URL | -
ありゃ、前の前の話は何と如来のたたりか。我が国ながら日本の風呂敷の広さには恐れ入る。
( 2021年11月07日 00:06 )
人間七七四年 | URL | -
>この事は糸割賦の年寄である有来新兵衛
有来新兵衛って安土桃山時代に織部焼扱っていた豪商か。
ってか名を継いだその子孫か。
( 2021年11月07日 16:00 )
人間七七四年 | URL | -
※2 ええい、猪口才な小僧め!名を名乗れ!?
( 2021年11月08日 06:32 )
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