175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/11(木) 14:28:38.25 ID:4d0f0d9e
ある雑記に曰く、大猷公(徳川家光)の御代、老臣の面々に仰せに成られた
「豊国社が現在廃れているが、これは道理に当たらない事だ。秀吉に於いては敵と称する類に非ず、
そもそも当家(徳川家)興立の事も、彼の恩義に寄ってのものである。であるのにかの霊社を捨てるのは
いかがだろうか。頃く修理を加え、祭祀の礼を以てすべし。」
この時、酒井雅楽頭忠世が云った
「上意の趣、謹んで承りました。但しつらつら考えてみた所、神霊は人の敬に集まり、神威はこれより
生じます。これを廃する時は威が無く、威が無い時は祟りを成しません。
今、たとえ上意の如くしてこれを祭ったとしても、正しく社稷の嗣である秀頼公は御敵として亡命しており、
である以上どうして神霊が祭を受けられるでしょうか。
恣に今これを取り繕えば、これ則ち御武威の虚となって、邪気がこれに乗じて禍害を成すでしょう。
ただそのままに差し置かれるべきです。」
この意見を公も信じられ、その後これについての御沙汰は無かったという。
(新東鑑)
豊国社についての徳川家光と酒井忠世のやりとり
ある雑記に曰く、大猷公(徳川家光)の御代、老臣の面々に仰せに成られた
「豊国社が現在廃れているが、これは道理に当たらない事だ。秀吉に於いては敵と称する類に非ず、
そもそも当家(徳川家)興立の事も、彼の恩義に寄ってのものである。であるのにかの霊社を捨てるのは
いかがだろうか。頃く修理を加え、祭祀の礼を以てすべし。」
この時、酒井雅楽頭忠世が云った
「上意の趣、謹んで承りました。但しつらつら考えてみた所、神霊は人の敬に集まり、神威はこれより
生じます。これを廃する時は威が無く、威が無い時は祟りを成しません。
今、たとえ上意の如くしてこれを祭ったとしても、正しく社稷の嗣である秀頼公は御敵として亡命しており、
である以上どうして神霊が祭を受けられるでしょうか。
恣に今これを取り繕えば、これ則ち御武威の虚となって、邪気がこれに乗じて禍害を成すでしょう。
ただそのままに差し置かれるべきです。」
この意見を公も信じられ、その後これについての御沙汰は無かったという。
(新東鑑)
豊国社についての徳川家光と酒井忠世のやりとり
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コメント
人間七七四年 | URL | -
亡命って文字通り「命を亡くした」ってことか
なんで他国に逃げるって意味になったんだろ?
( 2021年11月11日 19:14 )
人間七七四年 | URL | -
亡は原義が「逃げること」だからわかりやすい
命の原義は「名・名籍」らしいがこっちはよくわからん
( 2021年11月11日 21:11 )
人間七七四年 | URL | -
納税が出来なかったり犯罪を犯したり地元有力者に睨まれた者が、州・郡の戸籍から外れて流民になることだからだよ
>亡命
漢末や三国時代は戦乱以前に搾取逃れのために戸籍捨てて部曲や私有民になる百姓が多すぎて国の統計上の人口が滅茶苦茶減った
( 2021年11月11日 22:39 )
人間七七四年 | URL | -
大阪においては明治維新後に天満の川崎東照宮が廃絶され、豊國神社が復活している。
なんか、皮肉だね。
( 2021年11月12日 13:32 )
人間七七四年 | URL | -
もしかしたら薩摩亡命が周知の事実だったりして…
( 2021年11月12日 13:34 )
人間七七四年 | URL | -
徳川家光が大恩ある秀吉公祀る豊国神社を修繕しろよと言ってるのに
老害が適当なこと言って無事阻止しましたって話か
家康が創った秀吉像の再評価が家光の代でなされていたら
今に伝わるある事ない事を追加されたラスボス秀吉は無かったかもね
( 2021年11月12日 14:46 )
人間七七四年 | URL | -
※6
釣り針がでかすぎる
( 2021年11月12日 18:31 )
人間七七四年 | URL | -
※5殿
その話聞くたびに、鹿児島は避難所かと
思ってしまう……
(明石さんの息子の一人は実際に鹿児島に落ち延びて
きたけど)
( 2021年11月12日 19:33 )
人間七七四年 | URL | -
※8
津軽も避難所になってるし、もしかして田舎(この文章はここで途切れている。)
( 2021年11月12日 20:21 )
※8 | URL | -
※9殿
それを言ったら明石さんの別の息子が
落ち延びた仙台も田舎に……(この文章はここ
で途切れている)
( 2021年11月12日 20:28 )
1 | URL | -
※2
※3
なるほど。「戸籍から逃げる(外れる)」って感じなのですね
( 2021年11月12日 20:42 )
人間七七四年 | URL | -
この時代でもまだまだ豊家の残滓を恐れていたという事でしょうか
( 2021年11月13日 15:24 )
人間七七四年 | URL | -
酒井忠世「金ねンだわ」(本音)
( 2021年11月13日 16:04 )
人間七七四年 | URL | -
秀頼薩摩亡命説は、泳いで参った人が薩摩に逃れたのが、
いつの間にか尾ひれがついて…でしたっけ。
ご存知のように相続権はともかく、太閤の息子を名乗れる資格は備えていたので
( 2021年11月13日 19:14 )
人間七七四年 | URL | -
※14殿
秀頼亡命説の成り立ちは自分は知りません
が真田さんが薩摩に来てしばらくした時
ちょっと琉球行って戦ってくるわーな発言をした話
や真田さんだけでなく大坂の陣の大坂方のメンバー
が薩摩に落ち延びて来た話(元和元年、薩摩と大坂
諸将とほっかむり 参照)とかあります。
古い本に明治初頭まで姶良市の安国寺に木村重成の
墓と呼ばれる墓があったそうです。
( 2021年11月14日 00:23 )
人間七七四年 | URL | -
15の続き
あとは、黎明館の方から聞いた話ですが、
十年ほど前に黎明館に「織田信長が本能寺から
脱出し薩摩に潜伏したという話を聞いたのですが
どの本に載ってますか?」という電話が
あったそうですが……誰から聞いたのでしょうか
黎明館の講座でこの話をしたあと織田信長が
薩摩に潜伏しても意味が無いと説明して
(ないとは思いますが)もしそんなこと
が書かれている本があればお知らせください
と言われていました。
( 2021年11月14日 00:35 )
人間七七四年 | URL | -
花の様なる秀頼さまを鬼の様なる真田が連れて退きも退いたり鹿児島へ
花の様なる秀頼さま(身長197cm体重160kg)
( 2021年11月14日 17:33 )
人間七七四年 | URL | -
※17
ラフレシアかな?
( 2021年11月14日 20:00 )
人間七七四年 | URL | -
※18
真田「フハハハ!怖かろう!」
( 2021年11月14日 20:37 )
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