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古沼の浅き方より野となりて

2021年11月13日 16:35

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/13(土) 16:15:24.31 ID:FQlv6jhO
安宅冬康は善心の名君なれども人情の薄い乱れた末の世となり、猛悪が畿内に広がった。

故に三好長慶卒しなされて後、三好氏族は集議して左京大夫(三好義継)と阿波屋形(三好長治)に
讒して曰く、「冬康は天下の執事の望みがある故に、阿波淡路の兵将を懐けて諸国に睦をなし、
義継と長治を軽んじ申しているので、すぐにでも謀を巡らしなさらねば後難はまぬがれません」と相通じ、
このため義継と長治より大兵を催し、淡路由良の城を攻めた。

冬康はこれを聞いて「愚昧の者どもの悪業なれば諭しても分別はすまい。三好家の滅亡も近年中であろう。
先祖累代勲功をなして興起した当家を、愚昧の氏族どもが集まって破滅することこそ無念である。
それでは黄泉の道に出立しよう。今生の思い出に連歌を催さん」と、表八句の連歌をなされた。

その七句目「蘆に薄の交る一村(アシにススキの交わる一群)」に、
八句目「古沼の浅き方より野となりて(古沼は次第に乾いて野となりアシは少なくなった。世は移り変わるのだ)」
と冬康は句を付けなさり、大いに喜んで「さても快し。これまでなり、いざ打って出よ!」と、
城門を開けて突き出し、ついに戦死なさると聞く。

三好家滅亡の前兆であろうか、智能の子弟生まれずして愚昧の氏族が充満し、
自らの門葉の鏡とするべき冬康を失わせたことこそ浅ましきことである。

讃州の安富筑前守が淡州の役に死すと家の記にあるのもこの時であろう。国は遠く人伝に聞いたので、
その事実を洩らすことは本意ではないが、後時によく知る人を待って記すものである。

――『南海通記

冬康殺害を長慶死後とするのは著者香西成資の意図なのか、そう伝承されたものだろうか。
『三好別記』では最後の句を三好実休討死の報を聞いた直後に長慶が付けたものとしている。



179 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/13(土) 23:23:55.82 ID:xQThuIil
香西成資は讃岐香西氏の一族だが、小幡景憲に甲州流を学び軍学者として1682年黒田家に仕官、
福岡城下で四国の戦国史(南海通記)を執筆

こういう経歴見ると胡散臭いし思惑もすげえありそう

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/15(月) 01:51:14.03 ID:9pACqh2i
>>179
南海通記は南海治乱記を増補したもので内容はほぼ同じ
治乱記は黒田家仕官前に完成したので思惑があったとしても黒田家は関係なさそうだ
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