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かの浪人が甲冑を帯びて発足した

2021年11月15日 17:58

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/15(月) 16:14:38.47 ID:jIwKfpHp
或る本に、豊臣秀頼公が大阪籠城との噂があったため、京都所司代である板倉勝重
長宗我部盛親を招き饗応の上に、

「貴殿の御事は、(関ヶ原とその後の土佐での騒動で)一旦御不審を蒙られたが、私がこのように
有る上は、宜しきように相計らい、帰国のことを執政申すでしょう。
ですので、例え大阪から召されたとしても、決して許諾されないように。」

そう懇ろに申されたので、盛親もこれに同意した。
そして勝重の邸宅より、直に大阪に下ったという。

また或る本に、無禅という人物があり、彼は七歳の時より近衛家に召し使われ、七代の間近衛殿の門を
出なかった奉公人で、百十九歳まで生きたが、相国寺門前に家があった。
また、同町の藪の中に、寺子を取って物を教え、渡世していた浪人があった。

大阪籠城の刻、ある朝、かの浪人が二、三人と共に甲冑を帯びて発足した。
この浪人が長宗我部盛親であったことは、後に知れた。
無禅は同町において、「異なる出で立ちの男かな。」と、盛親を直に目の当たりにしたと語った。

後で聞くと、寺町今出川の辻に於いて、この一行は二、三十騎ばかりになり、馬鑓等を持たせていた。
寺町三条に至ると二、三百騎になり、伏見では大方千騎にもなったと人々は言い合った。
珍事であるので町所より所司代へ訴え出ると、板倉の某は大いに怒り
「それと知っていれば討って捨てていたものを!」と言われたとか。

当時こういった物語が日々数多有り、皆実見の事だという。

新東鑑

長宗我部盛親の大阪入城についての逸話



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >「~例え大阪から召されたとしても、決して許諾されないように。」
    >そう懇ろに申されたので、盛親もこれに同意した。
    >そして勝重の邸宅より、直に大阪に下ったという。

    そら勝重も怒るわ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まあ13年放置されて、今更京都所司代のその場しのぎの慰留なんか信じないだろうしお互い様やで。
    実際、大坂の陣に参陣しなかった旧西軍改易大名でなんらかの処遇があった奴がいたかというとね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    一理ある
    誠意は言葉ではなく知行

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