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烈士秋山六郎碑

2021年11月21日 16:00

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/20(土) 20:27:17.21 ID:b2yFIyIC
烈士秋山六郎碑

足山田城(現在の城山)は、武田方の秋山新九郎の守る城であったが、信玄没後、徳川家康に攻められ落城した。
その時、新九郎の家臣秋山六郎はのがれて長山村にかくれ住んでいたが(城山くずれと呼ばれていた)
天正三年(一五七五)五月、長篠合戦にむかう徳川、織田軍と宝川で戦い、壮烈な死を遂げた。
この事は伝えられ、同情をよせた村人は、正徳三年(一七一三)になって、彼が住んでいたあたりに菩提供養の墓を建てた。
さらに後になって彼の生きがいをあらわした「一屋銕心」の戎名が追贈された。
このあたりの地名を「六郎辻」という。

平成八年五月 豊川市教育委員会



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    そんなになってから建てたってことは祟りとか噂されたんだろうな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    150年近く経ってからか。どんな経緯があったんだろうね。
    宝川は同じ豊川市の中にある上長山町宝川のようだ。古地名が残っているのは有り難い。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    豊川市上長山町宝川
    地図で見たら長篠の最前線だ。城山くずれの時の足山田城趾から、そう遠くないので村人の助けがなければ暮らして行けなかったろう。村人に親戚筋が居たかもしれない。もしかしたら権現様に遠慮して100年以上も経ってから平和な江戸時代に建立が決まったという可能性もあるかも。案外、子孫がいたかもね。

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