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泉光寺不動像由来

2021年11月22日 16:57

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/21(日) 16:01:22.28 ID:Fvc+5BzI
大永年中に河野四郎通直(弾正少弼。伊予の名族)は予州の氏族を滅ぼしてその領地を併せ持ち、
自家を大きくして国中の兵将を押し靡かんと望んだ。まず不服の氏族を攻めて軍諍を始め、
この時に今岡、重見、河野の一家など同姓の輩が他国に分散した。
(中略)各々弱は強に制せられてその領地を削られ、あるいは殺戮され、追放された。

ところで、河野家の祖先に“息方(ヲキガタ)”という人がいたがこの人について異伝がある。
往昔の河野家に右衛門三郎といって門戸を守る者がいた。その気性は強暴で哀愍の情は少なく、
乞食人を嫌って門戸に入れなかった。四国は弘法大師出生の地で、仏法流布の境域である。
真言を宗とする者は四国辺路を物乞いし、霊仏を巡礼して菩提を祈ったが、
右衛門三郎はこうした人をも門内に入れなかった。

右衛門三郎が年老いて臨終の時、僧1人が来て曰く「汝は生涯強暴にして慈悲心もなかった。
しかしながら潔白にして正直であった。何であっても未来の願があるならば、叶えて取らせよう」
右衛門三郎は曰く「我が何を願い、何を憂いようか。我に願うことはない。
しかしもし願って叶うというならば、我が君河野殿の子に生まれることだろうか」

僧は「その願を合えん」と言うと白玉を出して左手に握らせ、死に赴かせた。
果たして河野の子は白玉を握って出生した。これを息方というのである。
息方は成長後に河野家を継ぎ、不動の像を造ってその白玉を玉眼とし、これを崇信して氏の証とした。

その後裔は今度の内乱で郷里を去る時、不動像を背負って讃州坂田庄室山の下に来たり、
一宇を安置して泉光寺と号した。この名は清泉があったことが由来である。
天正年中の大地震(天正地震)により天下悩乱し、大地は割れて白水を出し、大山は崩れて郷里は埋まり、
平陸は破れて海底に沈むことがあった。この時、室山は崩れて泉光寺は地の底に埋まった。

河野氏族は深く嘆いて掘り出そうとしたが力足らずして止め、ここに新たに堂を立て不動像を造り、
旧所に安置して河野氏族の氏寺とした。その一宇は今も存在する。その部類はなお多い。

――『南海通記

異伝は空海と衛門三郎の伝承に酷似しているが通直に追われた河野氏族に伝承されていたものか



204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/21(日) 16:17:25.55 ID:mcu/nSEA
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-11862.html
この下の方にも衛門三郎と空海の話があるな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    多分こっちの方が古くからある話なんだろね
    元からあった話を有名人に仮託するパターン

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