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巨綱を編みて座とし、犂を杖として

2021年11月25日 16:31

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/24(水) 23:12:08.30 ID:H3DCWHqC
河川開墾で知られる豪商・角倉了以についての逸話を
「瑞泉寺縁起」や伴高蹊「続近世畸人伝」を参考に

(山城大堰川を開削し丹波から嵯峨まで水運の便をよくした後)
(慶長)十二年の春、また命を奉じて駿河の国富士川を浚う。
この川もっともはげしき流れなれども、駿河の若淵より甲斐の国に船通うこととはなりぬ。
よりてその辺の人々、高瀬舟を見てあやしみかつ驚きていう。
「魚ならずしてよく水を行く」と。

のちに方広寺の大仏造営の際に高瀬川を開くことになるが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-661.html
豊臣秀次の女癖、などなどについて・悪い話

にも少し語られているように、秀次の畜生塚にあたったため
荒廃していた塚の遺骨を集めて供養し、
「秀次悪逆塚」と書かれていた石塔から「悪逆」の字を削り、大仏殿の遺材と聚楽第の残りを用いて瑞泉寺を建立したという。

晩年には工事の際に亡くなった人たちを弔うため、嵐山に大悲閣を建立。

死に臨む時、遺言せらく
「我が肖像を作りて大悲閣のそばに置き、巨綱(おおつな)を編みて座とし、犂(からすき)を杖として石誌を建てよ」と。
のち、その遺教にしたがい、碑文を林羅山氏にこうて建つ。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    了以の末裔と同級生だったわ
    歴史上の人物というのは知っていたが当時はどんな偉人かも知らなかった
    本人に色々聞けばよかったな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    多才さとスケールのでかさが明治の財界人と通じるものがある

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    顔立ち知ってるだけでも凄いな。戦国大名の御子孫あたり、まだ大名の面影残してるもんな。血って濃い。了以って土木水運の人だったんだよな。三方五湖の水路には子孫が関っている。
    で、大悲閣。
    大河内山荘からの眺めが良い。五正色幕が美しくて中々。

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