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家康公を呪詛し奉るという事を

2021年12月02日 16:19

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/02(木) 14:58:05.53 ID:K46OWYnc
或る記に、大阪冬の陣、十一月六日の朝、大御所(徳川家康)に中井大和守(正清)が言上した所によると、
三井寺照光院御門主、並びに三井寺の僧侶七人が大阪の密旨を得て、家康公を呪詛し奉るという事を、
三井寺の本覚坊が訴えたという。

この事は板倉伊賀守(勝重)に御吟味が仰せ付けられ、三井寺の宝泉院、光浄院両所の僧が召喚された。
かの両僧の申す所によると

「本覚坊は不義の僧であったため、僧中で詮議して一山より追放致しました。そこで最近は大徳寺の辺りを
徘徊していたと申す者も有ります。そして彼は追放されたことを意趣として、照光院、並びに三井寺の
僧中を憎み、このように偽って申し上げたのでしょう。
その上照光院と三井寺僧中はそもそも不和であり、調伏を一緒になって行うような事はありえません。」

そう重ねて申し上げたため、板倉より、かの本覚坊を召し捉え、三井寺に差し出すべき旨を申し渡した。

別記に、照光院と三井寺僧中が不和に成った起こりは従来、聖護院、実相院、圓満院の三御門主にて
三井寺を御支配していた所が、秀吉公以来、聖護院だけがこれを支配するようになり、それ故に
照光院などと関係が悪化したのだという。
また一説に、関東調伏の事は金地院(崇伝)を以て御尋ねが有ったとも言う。

新東鑑

三井寺内部の紛争が大阪冬の陣で変な所に飛び火したお話



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「俺たちアイツとは仲悪いんで一緒に祈祷とかないです」
    これが言い訳として通るあたりそういう事例にあふれていたんだろうなと

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