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ただちに名付けて「鷺草」と

2021年12月03日 16:45

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/02(木) 21:16:21.72 ID:WukBVQQP
Yahooニュースで数日前に世田谷の常盤姫のことが出ていたので
「名残常盤記」から常盤姫が世田谷吉良氏の吉良頼康に呼ばるまでの伝説を

頼康卿しばらく遊猟を好ませ給い、折節冬の時雨空、深雪積もりし曙に、御鷹野狩を催され、
深沢、野良田、等々力の辺、駒にまかせてあわしける所に、奥沢の深田にして、早くも御拳離されて、一羽の鷺をあわせたまう。
大平出羽守が境より出羽が屋敷へ御鷹は、鷺をつかんで落ちたりけり。
御よろこびの余り、大樹(頼康)みずからこれをおさえられ、えたる鷺を御覧あるに、短尺(たんざく)つけてあざやかに
「狩人の けふはゆるさん 白鷺の しらじらし夜の 雪のあけぼの」
とありければ、頼康卿さらに御不審たまわず、かの短尺をとくと御覧ずるに、いとあでやかなる筆の跡、いずちにいかなるものの婦の、書きしものと御心深う思い入る。
まことに絵にかける女に御心まどわし、おもいこがれておわします。
御近習に候うしたる橋本天王丸を密かに召して、こころを語り、
「近在をめぐりて、鷺につけたる短尺の、この筆主をたずねよ」と、仰せありければ、
天王丸かしこまり、「君言汗の如し」と古語を思いつつ、これよりもすぐに、行方定めぬ雪の朝、名を白鷺の跡をしたうて、天王丸が身の難儀なり。
(天王丸が鷺に短尺をつけた人物を探し、松原、経堂、北沢、船橋、八幡山、曾子我谷(祖師谷)、喜多見、用賀、鎌田、玉川、諏訪神社を、かけ言葉を使って尋ねていく描写あり)
(諏訪明神のご利益が)上野毛(かみのけ)たちておそろしく、むねはとどろく等々力の、村に流るる小川あり。
いずかたよりして若侍、会釈もなしにかけ来たり。
「我ら主君の秘蔵せし一羽の鷺、雪の旦(あした)に籠抜けして、行方しれず」とたずねける。
(天王丸が主君の頼康が鷺の持ち主を探していることを若侍に話し、二人で互いに喜び合う。
天王丸は頼康の元に戻り、短尺を書いた人物が大平出羽守の娘の常盤であると告げる)
頼康「鷺をこぶしにてとらせしときのかの一首、何ゆえ鷺へ付けてありけるぞ」
天王丸「父出羽、この姫を、あまりにいたわりいとおしみ、数多の鳥を飼い置きしに、
おりふし夜雪つもり、強くいためるその気色、自ら籠を押しひらき、かの短尺を結びつけ、放したまうと承る」
(頼康は年来思い焦がれていた常盤が短尺の筆者と知ったため、頼康の姉の淀殿を大平出羽守のところにつかわし宮仕をすすめ、
出羽守もよろこんで娘常盤を頼康の元に送り出した)
さてもこの度、常盤の君、御入殿なりしおこりこそ、ひとえに雪の白鷺の、わたせる橋の縁とて、折々ごとの御酒宴にも、
頼康「一羽の鷺を得しよりも、その因縁にその方を、宮仕うは我も満足、せめてその鷺とどめられしあとを、見まくほしや」
とのたまえば、ころしも水無月十五日
頼康「先頃鷹を合わせ、鷺をとどめし方はここらぞ」と、御馬を立たせ御覧ずるに、かしこもここも野も芝原、
さもうつくしく皆白妙に咲く花の、草花なれども見事さは、何にたとてん初深雪、
御所をはじめ、侍従まで、不思議と見る目、花のなりは、そのままに鷺の舞い立ちし、形に寸分違わねば、
ただちに名付けて「鷺草」と、末の世までも呼ばわりて、奥沢の野にありとかや。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1121.html
世田谷の鷺草・哀しい話

※PDF注意
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/002/002/d00026703_d/fil/26703_2.pdf
世田谷区が紹介する「サギソウ伝説」


のように世田谷の鷺草伝説はいろいろありますが、この伝説も有名らしいので



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