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土屋昌恒とその子・いい話

2008年10月16日 11:34

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 01:32:06 ID:oIgI/cTc
武田勝頼の家臣に、土屋昌恒という者がいた。
彼は信玄の時代から、武田の次世代を支える逸材と期待されていた男であった。

さて、織田徳川による武田征伐が起こる。

御存知のように武田は次々と城を落とされ、家臣、一門が続々と寝返る中、
昌恒は常に勝頼の側にあった。やがて天目山に追い詰められ、勝頼が自害すると言う時、
彼は勝頼の自害の時間を稼ぐため、追って来る織田軍の兵を峡い崖道で迎え撃ち、
片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しない様にし、もう片手で槍を振るい進軍を阻んだ。が、多勢に無勢、
後に「片手千人切り」と呼ばれるほど奮戦したものの、やがて討ち取られた。
しかし、彼が稼いだ時間のおかげで、勝頼たちは縄目の恥辱を受けることなく、自害する事ができた。

さて、戦後である。

この昌恒には、惣蔵と言う幼い息子がいた。織田の残党狩りを避け、親族のいた駿府の清見寺に匿われていた。
しかしそこは織田の同盟者である徳川家康の新領地。まもなくその存在は察知され、彼は徳川の手のものに
捕まり、家康の前に引き出された。
甲斐での、織田による残党狩りの禍々しい噂は、駿河にも聞こえていた。可哀想に、あの子も殺されるのだろう。
皆、そう思っていた。

ところが家康は、引き出されてきたこの、元の敵の子を、丁重に扱った。

「お主の父の最後は聞いた。わしは、お前の父のような侍を尊敬する。」

そしてこの少年に向かって言った。「出来れば、わしの息子、秀忠の、小姓になってくれないだろうか?」
彼は後、土屋忠直を名乗り、やがて上総国で2万石を与えられ、久留里城主となる。

侍の、命を捨てた忠誠は、自身も主家も滅びてもなお、子に福を与えることもある。と言うお話。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | Pnsj6K02

    いやこれ武田オタクの家康だったから助かったんじゃねーのかね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    なんにせよいい話だ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    惣蔵は昌恒本人じゃなかった?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    忠直の幼名も惣蔵
    幼名や通称って代々同じものを名乗ったりするからね

  5. 人間七七四年 | URL | -

    久留里藩主になった惣蔵の子孫が
    今俳優をされている土屋氏だよね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    子孫は老中になってる

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