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その胆力を惜しんだという

2021年12月12日 16:33

堀直寄   
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 14:17:03.91 ID:IsRXlB3n
越後村上の城主である堀丹後守直寄は、堀監物直政の二男で、幼名を三十郎と言った。彼は豊臣秀吉公の
児小姓であり、後に丹後守と改めた。
直寄は自身の九万石の領地の内、一万石の禄を与えて能勢右近を招いたほどの人材好きであった。

彼の家中に梅田佐五右衛門という武士が有り、大坂の陣でも武功があり、それ以前からも名のある者であった。
彼は勇荘大力であり、口径が三、四寸ばかり(10~12センチほど)の大丈夫筒(大筒)を持ち上げるほどであった。

ある時、丹後守が制札を出した。これに『小唄・尺八・男色等禁制』とあったのだが、佐五右衛門は
この部分に墨を引いて塗りつぶした。丹後守はこの行為に激怒し、二名の討ち手を遣わして彼を殺させた。
佐五右衛門が城の端に何気なく立っている所に、一人が近寄って短刀で刺した。佐五右衛門は騒がず
この者を捕って引き寄せたが、その時もう一人も彼を刺した。しかし佐五右衛門は両人を左右の脇に挟み、
二十間あまり(約36メートル)の縁を走り出たが、その間に再び突かれて殺された。

彼のこの死に様を聞いた丹後守は、その胆力を惜しんだという。

志士清談

自分で殺させておいて惜しむというのも何というか。



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 15:10:40.45 ID:6rYzIKm+
やっちゃいけない事する以上仕留めないといけないけど、それはそれとしてこんだけの豪の者を仕留めるのは惜しいってのは矛盾しないと思う

235 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/12/12(日) 15:23:50.95 ID:UcxeYvzn
太田道灌を殺った扇谷定正にはこんな気分はあったろうか…。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この制札が出た頃は、衆道を禁止する動きが出てきた最初期のあたりなんですかね

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