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黒川道祐「雍州府志 土産の部」から将棋盤について

2021年12月12日 16:34

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/11(土) 19:40:07.66 ID:rA3d6hct
黒川道祐雍州府志 土産の部」から将棋盤について

将棋盤
二条東あるいは京極に榧(かや)の木をもってこれを造る。馬(駒)もまたしかり。(中略)
その文字にいたりてはすなわち筆法に堪えるの人をえらびて馬の名を記す。
近世に用いる所の馬、多くは水無瀬家の筆跡あり。
はじめ水無瀬兼成卿(三条西実枝(実澄)の弟)、男子なし。
高倉藤大納言永家卿の子を養いて親具朝臣と号す。
時に兼成、実子を産み、成長ののち氏成と号す。
ここにおいて親具、家督を辞し剃髪し一斎と号す。
すこぶる能書の名あり。豊臣秀次公、一斎をして将棋の馬の名を書かしむ。
これ水無瀬家の馬の名を書すの始まりなり。
およそ将棋、小将棋、中将棋、大将棋、大大将棋、摩訶大将棋の品あり。
その事に堪える者は家領あり。なお碁取りと称するがごとし。
倭俗、将棋の戯をなすに「指す」という。指をもって馬を点ずるの謂なり。

今でも将棋の書体に「水無瀬」というものがあり、関西将棋会館には「水無瀬の間」という対局室がありますが、秀次が選ばなければ別の名前がついていたかも。
(水無瀬兼成が水無瀬家で駒に書いた初めという説もありますが)
関西将棋会館移転のニュースを見て思い出したので。



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