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週刊ブログ拍手ランキング【12/16~/22】

2021年12月22日 16:16

12/16~/22のブログ拍手ランキングです!


何れの諸大名も、斯くの如く致している以上 10

豊国大明神祭礼「風流踊り」の怪異 10

白餅と黒餅 9
石田軍記 巻五 勢州安濃津城落城之事 8
尾藤知宣、戸田勝隆について 6

「沈惟敬、秀吉に毒を盛る」陰徳太平記バージョン 5
神子田正治、宮田光次について 5
富田信高の妻 5
凡そ家中の困窮は、その将の過ちである 3



今週の1位はこちら!何れの諸大名も、斯くの如く致している以上です! 
大阪冬の陣に際して豊臣秀頼が諸大名に送った書状がそのまま徳川から返還された、という内容ですね。
大阪方に対し現実をそのまま見せつけるという、ある意味非常に残酷なやりかたでもあります。この手の事で言えば、
個人的に、秀頼と家康の二条城会見の時も、徳川は似たようなことをやっていたと思っています。
この時、いわゆる「豊臣恩顧」である加藤清正、浅野長幸が同席したことは有名で、一般的にはここで、彼等豊臣恩顧と
秀頼との強い紐帯を徳川に見せつけた、という形で印象されていますが、実態としては清正も幸長も、それぞれ家康の子息で
ある徳川頼宣、徳川義直の「舅」として陪席したものであり、むしろ豊臣家に対し彼等豊臣恩顧が、既に徳川の中に
取り込まれたことを見せつけたものだと考えています。こういった事を考えると、徳川としては豊臣家に対し「現実」を
認識させることで、自主的に大人しく自らの体制に取り込まれてほしかった、という思惑も感じてしまいます。まあ、
その方が徳川にとっては有り難いですしね。冬の陣で豊臣方は奮戦するも、結局味方になる勢力が無く、展望が開けない
事で堀や塀・矢倉など戦闘施設を破却することでの和睦となりました。
この時期の、徳川と豊臣の色々な意味での隔絶を感じさせる内容だと感じました。

今週は同票でもう一つ!豊国大明神祭礼「風流踊り」の怪異です!
こちらは豊国祭の風流踊りの中に、謎の、不気味な集団が見られたというお話ですね。ここで人々が彼等を「関白(秀次)御家
の人」と騒いだ、という部分が面白いですね。この原典の成立は江戸中期頃、という事ですが、これが正しいとすると、
その頃にも秀次事件に対して、怨んで出てきても当然という、京の人々に一種の蟠りが存在していたということなのでしょう。
秀次事件は現在も様々な解釈があるわけですが、一般的な印象としてはやはり、秀吉の非道な行為であったと認識されて
いたと見たほうが良いのでしょうね。
様々に印象的な内容でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!白餅と黒餅です!
秀吉の、木下氏~羽柴氏時代の家紋は現在、沢瀉紋であったと考えられています。しかしここでは白餅として、
実に一般的なイメージの秀吉らしい、当意即妙なとんち話になっていますね。豊臣秀吉という人物に対する世間的な印象を
考える上でも、面白い内容だと思います。
実は餅文というものは、そもそも色に関わらず『石持(コクモチ)』と呼ばれていたそうです。これは紋を入れる場所にあらかじめ
円形に染め抜く事を言い、そこから円形の紋もそう呼ばれたわけですが、またコクモチが黒餅に通じるとのことで、
「黒餅」の紋も成立したようです。黒田家もそもそも白餅だったのが、後から黒餅紋に変化したと云われます。
つまりまあ、先に言葉があって後に紋の方が成立したということですね。なかなか面白い話だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンをおしてやってくださいね!
(/・ω・)/
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