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「我が君の御運は強し!」

2021年12月27日 16:52

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/27(月) 13:13:00.33 ID:QCMvxcki
大阪冬の陣、今福の戦いでのこと

戦場から川向うに陣していた上杉景勝勢の直江山城守(兼続)は、豊臣勢の中に、部隊を下知している
後藤又兵衛を見つけた

「茜の母衣張で、馬印に黒半月を差して下知しているのは大将分と見えたり!あれを討て!」

そう申すと、若き者共が差し詰めて鉄砲を撃ち掛けた。これに後藤又兵衛の物具にも、弾丸が五、六発
当たり、その中の弾の一つが後藤の左の腕脇を打ちかすった。しかし彼は少しも騒がず、疵を確認して

「我が君の御運は強し!」

と申した。
この言葉を諸軍勢聞いて、「大阪には後藤より他に人無しとする言い分である。」と、これを嘲る者達も
多かったという。

新東鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    大坂方の武将の中では実績・名望共に後藤又兵衛が一番だったのでしょうかね。
    少なくとも又兵衛自身はそのように自負していたって事なのかな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    実際問題として後藤以外で実践経験十分で
    それなりの規模の部隊の指揮経験もある大坂方の将官となると…せいぜい明石ぐらい?

    その二人にしたって万を超える軍勢の指揮なんかしたことない、
    かつて六千を指揮した長宗我部はほぼ実戦経験がない、
    真田と毛利は

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    毛利は関ケ原参戦組だけど伏見城攻めでハッスルしすぎて本戦前にすでにボロボロだったからなあ
    真田はお兄ちゃんはともかく弟の方は実はそれほど実績ないし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    冬の陣当初は浪人衆では真田・毛利・長曾我部が幅を利かせていて
    明石と後藤は軍議に出られなかったらしいが本当?

    又兵衛の意見を聞かぬとは、黒田家の奉公構に気を遣っていたのか
    元大名の家柄が冬の陣当初では重みをもっていたのか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    真田→秀吉直臣
    毛利→大名
    長曾我部→大名
    明石→宇喜多家臣
    後藤→黒田家臣

    うーん、直臣と陪臣の間に線が引かれている気もする。

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