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怨みを恩にて報ず

2021年12月29日 16:04

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/29(水) 12:17:45.64 ID:RkB427sL
或る記に、博労淵は大阪冬の陣において、大阪方第一の要害の地であった故に、豊臣家はこれを
薄田隼人正(兼相)に守らせていたのだが、一戦にも及ばず陥落し、その上頼み切った平子(正貞)父子を
討たせたのは、薄田の不覚より生じたことであった。さらにこの博労淵攻めのあった夜に彼は
陣所に在らず、そのため『これは関東へ内通したのだろう。』と秀頼公に訴える者もあった。
これによって秀頼は大野治長を召され、糾明の上薄田を誅殺するよう以ての外に命じた。

大野は仰せを奉り御前を立ったものの、薄田は大剛の勇士であり、さらに気早き者であるので
卒爾の振る舞いをすべきではないと、直ぐに織田有楽の元へ立ち寄り、この旨を相談した。
有楽はこのように申した。

「薄田が内通したとの事は、全くの虚説である。彼は去る頃、平野を焼き払う功成らず、またこの度の
不覚により、東国(幕府方)がこのような噂を流したのだ。
怨みを恩にて報ずという事がある。貴殿は御前を宜しきに執り成し、薄田の御免を願われるべきだ。」

大野も尤も同意し、「然る上は私一人で申し上げても御承引頂くことは計り難い。貴殿と諸共に御諫言
申すべし。」と、両人打連れ御前に出、有楽が理を尽くして弁護したことで、遂に御免あった。

その後、大野の陣所が出火した時、それを期に池田武蔵守、同左衛門督、森右近太夫等の軍兵が
侵入しようと進んできたのを。薄田が勇戦して防いだため、幕府方は攻め倦み引き取った。
これは全く薄田の働き故であったと云われる。

新東鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    良いこと言ってるけど有楽さんはどの時点から大坂に見きりつけてたんだろ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    手元の内通者リストに薄田の名前が載ってなかったってことでは。

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