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「大友興廃記」より角隈石宗の諫言

2022年01月08日 21:50

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/08(土) 19:30:00.65 ID:rglBk/zP
「大友興廃記」より角隈石宗の諫言
天正六年、伊東家に頼られた大友宗麟が自ら出馬し日州高城を攻めることにした。
これに対して軍配者の角隈石宗は数条の諫言をした。
・当年は(宗麟の)四十九の厄年のため出陣は見合わせた方がいいでしょう。
・昨年より箒星(弾正星で有名なやつ)が西に尾を靡かせました。
戦場の方角に箒の柄ですので人を打つことにつながります。これまた不吉です。
などなど
しかし、一休以来と言われる如露法師により禅宗に傾倒していた大友宗麟は
「彗星が物の怪であるならば、本朝以外の唐天竺においても物の怪のはずである。
小国の日本の九か国に過ぎないこの宗麟の弓箭を告げることがあろうか」
と石宗の諫言を無視した。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2279.html
でも出てるけど出典と宗麟の返答までは書いてなかったので。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ宗麟の見識の方が真っ当よね…
    そもそも箒星なんか誰の目にも見えるもんだし、それで吉凶占ってるんじゃ対象者はその箒星が見える地域の全員になっちゃう

  2. 人間七七四年 | URL | -

    厄年については反論していないのか
    ところで当時の厄年は数えで四十九だったのか
    それとも「始終苦」の語呂?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ家中の反対をこういう形で縁起が悪いと忠告していたんだろうね
    君主の決断に正面切ってその愚を諭すって訳にも行かないだろうし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    その頃島津義久はくじ引きをしていた

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